文化・芸術

鬼神の復興

                               [鬼神の復興]

                   <鬼伝説の幻想イメージと象徴形態>

                <鬼、悪魔、についての神秘学的 見解>

Jan23109

世の中に、邪をもたらす魑魅魍魎の代表格とされてきた鬼。

地獄で罪人に罰を与える鬼。

この伝統的な常識イメージに疑問を抱き始めたのはいつごろだったか定かではない。

この論文はこのような疑問から始まって、歴史資料から、さらにもう一歩踏み込んで神秘学観点からも解釈を試みたものである。

本来ならば、歴史資料と神秘学的推論とは分けて考えるべきだとする人もいるでしょう。推論には、やはり理想的誤りが多いのは確かである。しかし現実資料だけではあまりに視野が狭すぎる懸念がある。

やはり両面を合わせて推測した結論を、さらに現在の現実社会と照らし合わせた有益な真実を模索してゆこうと考えている。

      [個人の推測された結論]

先に私個人の研究成果でもありましょうか、推測された結論を挙げておき、それに沿って資料とさらに思索を続けてゆこうと思います。

①およそ現代人の神の概念は、光り輝いた人間の姿で優しく慈悲深いイメージで、オドロオドロしい罰を与える姿では無い。しかし各国の原住民などの神の概念は、鬼に近いのである。つまり現代人以前の神は鬼神ではなかったのだろうか。

②鬼、または鬼に属する民族、あるいは鬼神を崇拝する民族が渡来人以前に日本国土に住んでいたのであるが、現代人の祖先である渡来人の襲来によってその歴史を末梢されたのではないだろうか? これによって当然鬼神民族は悪の者とされるおとぎ話、歴史が語り継がれることになる。

③さらに中東メッカにて世界を治めていた唯一の天皇が、ある時代を境に衰退しはじめ数千年をかけてシルクロード沿いに文明の痕跡を残しながら、日本において引退されたのではないだろうか。

                          [資料と思索 1 ]

私の思考方法は<ひとつの事象を他方面から観察してその本質を探る>方法をとります。ここで鬼の主題を考えるとき、日本、および東洋のみに限定はしない。同じ形態性質のものであれば世界各国のものも参考にしてゆきます。

まず、一見無関係のようですが言語の意味連鎖から始めてみます。

<鬼・キ>同じキの発音の字を羅列。

氣、貴、輝、奇、明るく気高くしかも幽玄のイメージ。主に元の意味に近いものを挙げてみたが、他にも季節の節目、精神器能、などにもキの発音が使われている。

※日本語は氣学を元に編纂されているようである。この謎について興味はあるがまったく手つかずです。

<鬼・オニの発音は、隠れる、のオンからきていると言う説、また陰もオンと読ませる場合がある。これらに関連した説では、神・カミという呼び方も、隠れ身、と言う意味からきているとされている>

<鬼の呼び方ではウラとも呼ばれている。岡山県地方>

私の突飛な考えとして、単純にウラ・裏と解釈してみた。これに対し、表・オモテ、面・オモテとされる世界が、この世、現実、形の世界とするとき、、ウラ、カクレミの世界はオモテの世界のネガ、要素、原因、基礎土台の世界と見ることができる。

またオニの発音を分解して<隠・オン、仁・ニ>でオニとした場合、鬼は隠り世の人、ということになる。さらにタマシイを意味する魂魄という字も一考にあたいするだろう。

これらを総合してみるといままでとは異なった鬼のイメージが沸いてくると思います。

角の生えた人骨は未だ発見されてはいない。これによって鬼の姿をした奇怪な生物が生息していたとは考えていない。また鬼とは、この世からは隠れて見えない身体、あるいは半霊半身であるとしてもよいだろう。

では、全国に伝わる鬼退治伝説はなにを物語るのか。おそらく鬼神を信仰していた民族が何者かによって滅ぼされ、さらにこの信仰を原始民族の迷信とするため悪神として伝説を残したものと推測できる。この民族の歴史はほぼ完璧に末梢されているようである。

ただこの民族の末裔が南端、沖縄民族、北端、アイヌ民族ではないか、と考えている。そのうち鬼神信仰の名残りを僅かに見せているのがアイヌ民族である。Jan231102008-1/27

 <アイヌの女性>

口の刺青は、崇拝する神に似せているものだろう。

  

    

      

             [鬼が人間に教えた知識]

<はたして鬼は、人に害ばかり与えてきたのか>

神農・シンノウ、温羅・ウラ、ナマハゲ。009_2 Dec31_53_2

<吉備神楽面>      <神農>

山陰の鬼の面は尖った角、および牙をもっており、おそらくは妖怪悪鬼伝説からより芸術的に創作されたものだろう。その点、岡山吉備神楽の面は、角はタンコブに近い形となっている。吉備の鬼は神話神楽のタケミナカタの神で、吉備津神社のウラとも共通するものと思う。

また鬼の形相については、四角い顔、への字の大きな口と牙のような歯と剛毛、目はもっとも特徴的で、釣り上ったアーモンド・アイ。これらの人相は、ある地方の原住民のあいだでは高貴な人として崇められている。

角がタンコブ型で思い出されるのが、中国古代神話の神<神農・シンノウ>である。元の姿は、頭は牛、体は人間でタンコブは牛の角の名残りであるとされている。この神は、人間に農耕や薬草の知識を与えたとされているが、おそらく暦その他の知識ももっていたと思われる。

吉備のウラ伝説では、吉備津ヒコに首を切られても<鳴釜神事>によって年の豊作、災禍の吉凶を占わしている。また東北地方のナマハゲであるが、ここでは子供になまけ心や良くない心を持たないよう躾をしたり、家の邪気払いも兼ねているものと思われる。

現在の伝承、既成概念では鬼そのものが邪気とされているが、ここでは人間の邪気を祓うのが鬼、なのである。

ほかには、聖所やご神体を守り、行く先を清めるものに、狛犬、シーサー、天狗のダカ、西洋の教会の屋根に彫られている悪鬼などがある。ここで纏めてみると今までの既成概念と逆のイメージが沸いてくる。

①邪気、穢れは人間から出され、それを清めるのが鬼。

②神聖な氣を人間社会から守るのが鬼。

③神と人間との間に仲介するものが鬼<鬼の理念は、人間と霊を媒介する位置にある>

      [神農と青銅紀]

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<高砂・石の宝殿><フクギ・神農><フクギ・ジョカ>

中国の鬼神信仰の時代は青銅器時代、また石をたくみに加工する技術を持った巨石文明とも並行するものと考えている。青銅、金銅、輝石などは、精霊、この場合鬼神との交信媒介、祭り事の主に装身具に使われ、巨石自体はご神体と考えられていた。

この青銅、巨石、鬼神信仰の文明、または民族は日本国土で滅び去ったと見ている。その痕跡が、出雲・荒神谷遺跡、岡山県・熊山遺跡、兵庫県高砂、石の宝殿、これらを代表として鬼退治伝説とシンクロする山城遺跡が各地に残っているようである。

さて、この文明がいったいどのような思想哲学をもっていたかが神農の伝説によって垣間見える。残された拓本によると、神農は神、フクギ、ジョカは人類の始祖として一対で敬われていたと思われる。

そしてこのフクギ、ジョカの持っている定規とコンパスは、錬金術の代表的なシンボルである。私の場合、錬金術、カバラ、グノーシスは一括して<グノーシス・叡智>としている。これによって次のように定義した。

①現代物理科学文明以前には、精霊と交信した自然科学文明が存在していた。

②創造の原理に基づいた精霊自然科学の断片は現在もグノーシスとして伝えられている。

③この文明社会は、唯一の神皇、天皇、君主、を崇拝し世界国家を治めていた

ここまでかなりな省略、駆け足でとばしてきたのはてっとり早くこの定義を挙げて、鬼神信仰を手掛かりにこの文明を模索してゆきたかったからである。

※歴史資料については他に優秀なHPがあります。参考にしてください。

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日本神道とユダヤ教

 日本神道とユダヤ教と題しているが、もとは唯一の真理を探究してのもので、ユダヤ教も含めて万教は一つの教義から派生しているとするポリシーからきている。この考えについては<創造のイメージ・現在削除>で述べたつもりである。またこの論文は練り直せれば投稿したいと思っている。
 厳密に史実を追及すれば、ユダヤ教、グノーシス、錬金術、カバラ、ゾハール、ヘルメス学などは発祥の時期も異っていたり、すべて違った宗派であるとされるかもしれないが、私の場合一括してグノーシスとしていることは以前述べたとおりである。
 さて神道とグノーシスを結びつけるきっかけとなったのが次の写真、岡山県備中神楽の地である美星町で魔除けとされる掛け軸であった。そのときはたんにセフィロトツリーの配置に似たものを感じて買ってきたわけであるが、その照合に数年を費やしてきたのである。 
Photo
 Photo_2
<上、吉備の掛け軸><下、数値配置図>
 まず紫線の1・2・3と6は「三位一体、あるいは四位一体」の菱形であることはすぐに考え付いたのであるが、9と10赤線を下縦に配置することがなかなかおもいつかなかった。それはアマテラスとマルクトの意味がほとんど相応しなかったからである。
それをなぜ同一としたかについてがこれからの主な課題なのである。そして現在でも考えあぐんでいるのが、4・5・7・8緑線の四神である。これが四大エレメントであることは間違いないのであるが、その配置が一致してこないのである。おそらくはここに交差か、表裏反転か変性のトリックがあるのかもしれない。ですからここでの数値配置は、掛け軸とセフィロトツリーそのままの配置にしていることを考慮しておいてください。
<1・2・3・6>高位の三位一体、あるいは四位一体。
<9・6・10>三貴神。
<4・5・7・8・>四大神、四大天使、エレメント。
 三位一体の位置は、天地の大神、マクロコスモス、地球神と見て、四大神は、方角、三×四=十二の星辰と考えていただきたい。およそ気学、占術はこの四大神の展開を網羅するところからはじまっているわけである。
 三貴神は、もっとも端的に考えて9潜在意識、6現在自我、10現実世界と見てもそう的外れではないだろう。
 ここで重要なことは、6のスサノオの位置は三重の世界<大神123、三貴神9610、四大神4578>いずれにも関わっている要の位置である、ということです。
現在意識もこの位置にあたりますが、その叡智においては背後のスサノオとは雲泥の差があり、しかも現在意識の見る方向は現実世界に釘付けされているわけです
 現世で生きている私たちが、この世の主宰神として信仰すべき神はスサノオであってアマテラスではないのです。ここがある時代にすり替えられているのではないだろうか。キリストの言った「何人も我を通さずして神の国をみることあたわず」とは、この意味で、スサノオの宿った人のことで、キリストその他の賢者だったわけである。
 ここでは真理教義の面からユダヤと日本の関係を追及しているが、史実的には今からも多くの発見と発掘があることを期待しています。

補足2009-7/某日

出雲大社の本殿に祀られているご神体の向きについては、諸説あることでわたしはあまり気にしていなかったのであるが、ふと思いつきGoogleの世界地図で見てみると、どうもイラン、イスラエル、強いてはメッカの方向に向いているのではないか、と考えたわけである。
これは地図上のことで確かなことはわたしにはわからないが、地理に詳しい人に確かめてもらいたいものである。

 

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メノラー・七つの燭台

     [父と子と聖霊の御名において]

 数値は、ある意味で理念をも意味する。とくに東洋哲学の分野ではそうであり、ひふみよいむなやここのたり、とはそれぞれ、気学、四大に関連した理念が付けられているようである。
 これを生命進化段階を表す音階と並べると次になる。
<①②③>④ ⑤ ⑥  ⑦ ⑧ 
⑨<十>
     ド  レ ミ ファ ソ  ラ シ  ド
この並べ方は<⑥とファ半音>を中間とする考え方からきている。また人間の意識段階を表現するには次の取り方がある。
                ⑤ ⑥ ⑦↑
          ③ ④  ⑤
    ↑① ② ③
①②③段階は、本能主体、原始弱肉強食。
③④⑤、情緒発育段階、立法社会。
⑤⑥⑦、知性的自主管理の確立。

     <メノラーとの照応図>
Photo
Apr26297

※メノラー先端のヘブライ語は各セフィロトの名で、その数値配置にしてある。なお⑥の上に付してあるヘブライ文字<この写真では判別しにくい>は①②③にあたるであろうと思われるが、私の場合、下の根元に配置しているわけである。
 またここでは追及しないが、写真どおりに縦に並べ替えると、数値配置は左右上下逆になるところがあるが、ほとんど吉備の掛け軸と一致してくるのである。
つまり吉備の掛け軸は、メノラーの神道的表現であることの可能性は高いのである。それともう一つ<奈良県天理市、石神神宮の国宝である七支刀、写真資料は最後>もまた、象徴を燭台から剣へと置き換えたものと考えられる。
 神名      進化系
④        <水棲動物>
⑤        <爬虫類>
⑥スサノオ   <亀>
⑦        <四足哺乳類>
⑧        <二足類人猿>
⑨ツキヨミ   <幽冥界>
⑩アマテラス <形成界>
 ⑩のアマテラス、マルクトは、③と表裏の関係にあり、⑨までの総合結果の現れと同じに始まりも意味する。現実世界は、その最終結果を形、五感世界に現わすと瞬時にその存在パルスは分解還元エネルギーと化している。人間はその最終形態、現実を見て、思考を働かし、さらなる現実を産んでゆくわけである。この意味でアマテラスは、結果、現れ、始まり<⑩③ド>の意味を持っているものである。つまりアマテラスは現実世界の終りと始め、また映し出す鏡をも意味する。
※アマテラスが地上を照らす<日・太陽>とするならば、⑥のスサノオ、ティファレットは霊的太陽、創造の光と見ている。
※現世の物事を伝達表現するのが、言葉の五十音であるならば、五十音のアイウエオを当て嵌めるのが④⑤⑥⑦⑧と考えている。また五十音に限らず、日本語の多義に渡る意味連鎖を思慮してゆくうちにおいて<日本語こそが、グノーシスの集大成>ではないだろうか、とも推測しているわけである。
 説明不十分ではありますが、数値の配置を記憶しておいてください。なお、四大神④⑤⑦⑧は先に述べたとおり、はっきりした位置が掴めない。たとえば④の水棲動物の位置にはエビス神である事代主がくるはずであるが、セフィロトそのままの配置からだと左右逆になるのである。私はやはりどちらかが左右逆に表示していると考えている。
※メノラーの意味するところは、父と子と精霊を意味して、中心である子、スサノオがこの世の主宰神であることを示していると考えている。
父=①=<国常立命>
子=⑥=<スサノオ、トート・ヘルメス>
精霊=④⑤⑦⑧<大国>
 なお各セフィロトの解説も多義にわたり、およそ神道の神と照合させてゆくことは困難の極みである。そこで自説を押し出して、そこから類似点を見出してゆきたいと考えている。またこの神道、ユダヤ教同源論が海外の研究者の目にも触れてほしいと希望している。

May01298
      <石神神宮、国宝、七支刀>
 象徴に関して、一般的観念からは、炎は平和、剣は戦いをイメージするものであるが、理念から考えると、炎は霊的働き、剣は厳格な法則、杖はすべてのプロセスを測る尺度とすることができる。
 このおそらく呪術儀式に使われたと思われる七支刀の場合、交互の刃並びは順序を表すとも考えられ、さらに剣の象徴の場合<多種造られているかもしれないが>もろ刃の剣が正統な象徴である。七支刀がメノラーの東洋思想的変形であることはそれほど不可解なことではない。

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国常立尊と男根崇拝

 古代ユダヤ教、および世界各地の原住民の間で今も残されている素朴信仰、男根崇拝について追及してみたい。この男根崇拝信仰は、現代宗教が発生しはじめた当初から、良識から逸脱した迷信、知性の無い子孫繁栄のみを主体とした原始偶像崇拝と解釈され、後世においてもたんなる迷信異端とされ無視排斥されてきた。また現代宗教が盛んになるにつれて改宗を強いられてきたわけである。
 私の場合、この現代宗教概念以前の信仰観念のほうが超古代文明の名残りではないか、と考えている。

現代宗教が、人間主体であるとすると、古代信仰は自然の中の人間といえるだろう。

次にこの男根が表す創造エネルギーは、神道では国常立尊にあたるのではないか、ということを説明した図を挙げておきます。

Photo
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<上図、上下逆相配置><下図、現実配置>下図の場合、数値配置の左右は関係無い。②成層圏、⑨月、⑩太陽、⑤⑥⑦⑧陸と山、④海、①マントル層、③重力としている。

 ①の<国常立、セフィロトツリー生命の木では、ケテル>は、人間および万物を生かしている尊く崇拝すべき地球大神で、その信仰対象理念としては<吉備の掛け軸、セフィロトツリー日本神道とユダヤ教、参照>のごとく、上に位置されているわけである。
 しかし五感現実の世界では、逆相、下に位置していて、地下<根>に居て活動しているわけである。つまり、私たち人間は、崇拝信仰すべき大神を、足元に踏まえて生活しているわけである。
 この国常立尊は、図のとおり大地の生みの親であるマントル層、マグマ、鉱物で、それが火山活動によって隆起し山となることによって、水が流動し生々化育が成り立っている。この働きは、地球の生命活動を産む男根を意味するのである。だから山そのものや切り立った岩などをご神体、男根として祀り、また男根状のものを国常立として祀るのは自然信仰に適っているわけである。
 次の錬金術関連図版<十六世紀、太陽の光輝、大英博物館>部分。この図で、生命の木の根元に王冠クラウンを置いてあるのは<クラウンであり、根であるケテル>を暗示しているものである。

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 このような点をよく考えてみると、現代宗教の信仰は、上ばかり崇めて、人間本位の道徳にのみ固執した信仰であって、足元の大地に感謝して拝み触れて、そこから気をいただいてくる、信仰ではなかったようである。
 なお、③イザナミについては、もっとも下位の地球の中心、重力を司る大神に当てはめている。②イザナギは成層圏に位置し、表面、形成世界の大法則を司って上に位置している。さらに②③は、①国常立の陰陽両精気でもあり、この三位一体を表しているのが、ヘルメスの杖で男根そのものである。この考察は後に論じてゆくつもりである。

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国常立尊の三つの性質

 国常立尊が地球の大神<造物主>であることはすでに述べてきました。この大神の三つの性質、働きが、図で示している<陰の法則、意志、陽の法則>で、イザナミ、スサノオ、イザナギ、を意味します。
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<意志の柱>①国常立、⑥スサノオ、⑤大国、⑧猿田ヒコ。
<陽の法則の柱>②イザナキ、⑩アマテラス、(櫛)櫛稲田姫。
<陰の法則の柱>③イザナミ、⑨月読神、④エビス。
※この図は、セフィロトツリーではなく、吉備の掛け軸を配置変換したものであるが、柱と働きの意味は同じである。柱の別名を挙げておきますと次になります。
<慈悲の柱><均衡の柱><峻厳の柱>
※ここでは書き分けていないが、大神、神、の敬称は概ね固定した原理原則を意味し、尊、命、は流動する意志生命を示していることを考慮しておいてください。
 このうち、陽の大法則、イザナキは、絶対に揺るぎの無い厳格な直線的法則である。そして陰の法則であるイザナミは水の性質で曲線、女性的である。
 次に、②イザナキ、⑩アマテラス、(櫛稲田姫)がなぜ陽の厳格な法則の柱に位置しているか、に注目してください。これは、厳格な法則、男性積極的働きが、次の五感世界の働きに移行するとき<変性の境域を超えて>その働きは従性となり、この上で自由意思が表現できる空間場となるのです。たとえば自由意志の<ミコト>が画家であるならば、アマテラス神は、カンバス<現実物理法則も含めて>を意味するものです。
 つまり大原則イザナキは変性して、外は女、内は男、アマテラスとなり、意志表現の場<受胎>となるわけです。<グノースティコイ、綾>を参照。また神カミの語は紙、面白しにも通じる。※現在グノースティコイは削除しています。
 この働きは、アマテラスの属性である機織り女、とさらに図で示しているように櫛稲田姫も同じ働きの霊系にあたることを意味しているのです。
 <この働き=霊系という解釈も、一般的には理解しにくい思考性だと思う>
 働き霊系は図で示したとおりであるが、神の生まれた順序は神話のとおりである。アマテラスはイザナキの左目から生まれ、三貴神の中では最初に生まれた。櫛稲田姫は、オオヤマツミ、アシナツチ、テナツチの娘とされている。
 このアマテラスと櫛稲田姫の異なる点は、アマテラスはスサノオの姉となり、姉のアマテラスが主導権を持つにいたり。そして櫛稲田姫とは夫婦となり、主導権はスサノオが持つわけである
 さらに、なぜこの図でアマテラスと櫛稲田姫を並べて表したかと言えば、スサノオとアマテラスの関係は姉弟であり、スサノオと櫛稲田姫は妹背、夫婦の関係、この姉弟、妹背の二つの関係が後の謎を解く重要な鍵となったのである。
 簡単に述べておくと、姉弟の時代は現実主義的で、物理科学が発達する時代。妹背は霊性が主体となる自然科学の時代である。つまり、現代はアマテラスの時代である。また、現実主義と、霊性主義は体主霊従と霊主体従の意味に匹敵するだろう。<この論稿は未定>
 次に霊主体従を表していると思われるチベット密教のマンダラを挙げておきます。
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 一般概念では霊とか神を美しい人像でイメージするのであるが、チベットマンダラの場合はその概念を真っ向から否定している観がある。こうした疑問にも考慮が必要で、創造の秘密を解く鍵となるものである。

 次に、錬金術関連で<姉弟、妹背>の関係を表した図版を挙げておきます。
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Jan02275
 上の図版では下が女児、上が男児となっており、翼が無くゆうつな感じである。これは重たく物質的で女児が主導権を持つ。姉弟、体主霊従を表している。
 下の図版では、上が女児となり、下が男児で翼があり、軽く自由霊性で霊主体従を表している。
 ※この図版では、主体となるほうが下に位置していることに注意。逆相の意味は国常立尊のところで、すでに説明したとおりである。既存の錬金術書では、溶解、発酵、気化の蒸留過程に関連した説明のみである。気化状態<図版下>とは、霊性を回復した状態と見ている。
 各国、地方の観念、象徴の違いによって、一つの真理が多様複雑化していることも考慮すべきである。
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スサノオの紋章

 三重の世界の要となって大海原である現世を治めるスサノオの尊の位置が、生命の木では⑥のティファレットであることはすでに述べてきたとおりである。ここでは、その万世一系の統治者としてのシンボルマーク、紋章を推測してみた。

 現代占星術でも用いられている太陽のマークは、円の中に黒点<下、説明図、スサノオの基本型を指す>であるが、このマークは元来霊的太陽、創造の光を表していると考えている。
 ならば本来の地上の形を照らす太陽のマークはいかなるものであったか、探してみたが、おそらくはこれであろうと思われるのが次の写真である。
Jun04310
 向って左が太陽。右が月。
<写真・聖フランチェスコの聖遺物・1228年以降・上部分>
 この太陽は、渦巻きを巻いているようでもあるが、菊花紋で言えば十二の花弁に相当するだろう。十二は、占星術での星辰にあたるが、同時に物事すべて、形の総数でもある。
 したがって、中心点の無い、十二の花弁だけのシンボルが<占星術で使用するはずであった太陽>アマテラスとしてもそれほどおかしくはない。およそマルクトの要素は、四大エレメントがそろって表示されているが、これは結局すべての色に通じ、虹色をも意味すると考えている。
 このように考えてゆくと、十二弁の菊華紋とは、アマテラスの光の中に中心点であるスサノオのシンボルが入っている紋章であるとしても不思議ではない。
<写真は無いが、十二弁の菊華紋は古代ユダヤ神殿のレリーフを指す>
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 <仮設菊華紋説明図>
 日光は金、月光は銀としている。
 花弁十二と十六との違いであるが、その意味合いについては正確な史実は無い。(万世一系の統治者)スサノオの紋章として挙げてある中心に六角形を入れてある〔総合型〕では現在の天皇の菊華紋である十六弁で、しかも表裏ある三十二弁を配している。
 三十二とは神々の総数であるとする説を用いれば、私の考えとしては、日神系十六、月神系十六と、表裏合わせての三十二としているわけである。
 古代ユダヤ神殿の、十二花弁菊華紋石彫レリーフの写真では、中心を盛り上げているようにも見える。これは中心点のある円を意味して、おそらく天皇の菊華紋もこれを表していたものと思う。
 人間から見て、現世の主宰神であるとともに、各個人の本守護神でもあるスサノオとはどうしてこれほどまでに不明瞭で謎の多い神であるか、ということがこれからの課題である。まず、この神は、霊界、幽界、現世を行き来することができ、その三世界を網羅している小径、道、プロセスを巡り尽くしてなお未だに放浪の神であるスサノオの本性を探究してゆくことが真実の信仰と結びつき、たんに信仰にとどまらず叡智への学びと試練の道へと続くものであると考えている。

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三・五・七

 このブログを読まれる方々のために、まず思想の基本となる数理の型を書いておこうと思います。十のポイントで構成された真理<生命の木>は、三重の世界すべてを表しているわけですが、主に現世、人間社会を測るときは<三貴神・三、精霊・五、二役のスサノオを足して総数七>この三・五・七で示されます。次の図版参照。
 ※この図では、④⑦大国、猿田-⑤⑧事代、稲倉が左右逆相になっています。未だに数値と神名が定まっていないことをご考慮ください。
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 混乱をまねくかもしれませんが、今後は次の配置を主流に使うと思いますのでついでに載せておきます。やはり、⑧に先達の猿田ヒコを当てるのが辻褄が合うでしょう。
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 次の説明図は、立体展開図。
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 この説明図では、最初の題材である<鬼の研究>の答えともなります。意識生命体<霊魂の進化過程>を暗示していることが理解できると思います。
 また、ここでは図はありませんが、①②③である、基礎大世界を司る大神の象徴は、およそ爬虫類で、蛇、オロチ、龍などがモチーフになります。つまり形以前の純粋エネルギーである波動、曲線のことで、三、巳、<ミ>の発音は、爬虫類を意味しています。
 ついでに<賢者の石・金剛石>も説明しておきますと、上下のピラミッド、金剛石・ダイアモンドの結晶体、正八面体、平面図では六、ヘキサグラムの数理化で、その意味合いはすべての道、プロセスを体得し尽くしたゆるぎない叡智を意味する。古神道では、天津金木とも関係があるだろう。
 三・五・七の教理は、これからの論文自体がその説明となります。ですからここではこの型だけを記憶しておくだけでもけっこうです。さらに六と男根<リンガ>を含めて、世界の宗教神秘学を研究してゆきますと、どこかにその象徴と隠喩を見出して多くの謎を解く鍵となるでしょう。
 この次にマイフォトで表示する<正統キリスト教に隠れてグノーシスを信仰していた人々の痕跡>も、三・五・七、六、リンガが主題となります。
 また注意点を述べておきますと、賢者の石とか金剛石と言えば、それを手に入れると神と同じ力を身に着け英雄になれるもの、というようなマンガチック理想はおもしろく興味をそそられるものではありますが、ここではかなり意味が違ってきますので、哲学的によく考えてください。
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三五七(Ⅱ)

 生命の木やメノラなど、グノーシス資料は調べれば調べるほど複雑な資料や説がどんどんでてくるわけです。私の持っているわずかな資料でさえ、生命の木の数値配置には数種あり、メノラのセフィロトの配置においてもここで紹介したものの他に生命の木そのままの配置の図があり、一般的にはそちらのほうが主流のようである。
 それでも私が自説にこだわるわけは、さきにも述べてきたように<人間の意識構造は、創造の原理と同じであり、すべてその時点での総合結果は、現実にある>と考え、この方向を推し進めてゆくうち、正統だとされる複雑難解な説にさきだち<マルクト・アマテラス・現実総合結果><ティファレット・現在自我><イエソド・潜在意識>と解釈して、その構造と現実を観察してゆくほうがはるかに確実で有益でさえあると信じているからである。だからと言って他の配置図を否定しているわけではない。そのわけは、一つの型は、主体とするポイントを中心に展開することができるからである。ここでも説明不足であるが、これから進めてゆく論文にて考慮していただきたい。
 次の図版は、錬金術資料のなかでも、もっとも三五七を説明しているものとして挙げてみた。
001
 この二角の無い犬とも馬とも獅子ともつかない哺乳動物に乗っている前の人物は、現在自我意識。後ろの鳥頭の人物〔⑥両性〕は、水星、水銀の詳しい表現。鳥頭は、高見から全体を見渡せる観察、洞察力。二つあることは、両界の知恵。また高見からは反対の最低の位置からも意味して、とくに人間社会は下から観察するとその実態が透けて見えるものである。いずれにせよ両界の知恵。しかし潜在的である。別の表現は、トート神、トートもその象徴が複数あり、ヒヒの姿をとることもある。いわゆる神の猿であろう。
 前の児童の別の表現は、タロット№0<次のフォト参照>または、皇大神,あるいは<スメラミコト>。直訳すれば〔最初の意思〕
 
この三つの象徴を、同一の意味とすることは、一般的にはとうてい考えられない解釈であろうと思いますが、これも後述とします。 
<上図の翻訳文>
 「死んだ肉体は残る。霊は肉体の死によって解放される。あなたは、鎌をもつあの死と、太陽、月、恒星の光とともにゆく」と読める。
 「太陽、月、水銀に従って作業を完成せよ」
 「この象徴はラトンと呼ばれる。それは容器の中では黒く見え、崩壊の始まりである」と解釈される。
 「これは、原始の物質の梯子である。それは容器の中に置かれると黒くなり、次に熱の度合に応じて、消化の階梯、梯子によって徐々に白に変化する」
 ※部分であるが、本書そのままに載せている。一見、自説とはかけ離れた文書である。またこの文字どおりの解釈をしようとしても意味不明であろう。
 梯子については、ここでは五段であるが、他には<国常立尊と男根崇拝での三番目の図版{太陽の光輝、大英博物館}参照>図版のように十段あるものもある。さらに、この図版では、梯子に昇っているのは人間で梯子の六段目に足をかけて作業をしていることに注意。
       〔タロット・大アルカナ・愚者〕
001_2

    (GD版)      (普及型)    (現代アート版) 
 (GD版)では、この純粋意思をよく表している。(普及版)では、多くピエロが使われている。(現代アート版)では、愚かさがより強調されているわけである。
 この無智な行動は、反面異物や斬新なものごとを産むものである。それはトリックスターの性質と重なり、トランプゲームではジョーカーとなったものと思われる。いずれにせよこの性質は突然変異を暗示している。そしてこの無軌道性は最初の自由意思である。

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西遊記

 秘儀を基にして創作された活劇物語としては、〔西遊記〕がもっとも代表的だろう。しかし、西遊記から読み取ろうとすれば、なるべく原本に近いものを読むべきである。それは三蔵法師以下の登場人物それぞれの性格とその関係などの描写自体が重要な意味を持つからである。
 本を読むのがおっくうな私にとっては、数巻ある長編を読むのは辛いな、と思っていた時に丁度<中国電子台で映像化された西遊記全巻のDVDが発売されていた>パンフレットには、原本に近いものと書かれてあったので即購入したのです。
 見終わって、そのおもしろさもさながら、登場人物の描写はよく表現されていた。たとえば三蔵法師であるが、現在作られている活劇本位のドラマのように、凛々しく師匠ぜんとして威張っているものではなく、反対に悟空がいなければまったく情けない存在で、すぐ妖怪にだまされ、たぶらかされては食われそうになり、すぐ孫悟空に助けを求めるわけである。
 妖怪を見抜く知恵と、退治できる力を持っているのは悟空であって、それが解らず悟空の行いを批難したりいさかいをおこすのは稚拙な三蔵法師のほうである。このように英雄的孫悟空ではあるが、その性格は何事にも歯止めがきかず、ほっておくと天界まで荒らしまわるわけである。それを戒めることが、三蔵法師の唯一できることなのである
 ここで〔三・五・七・Ⅱ〕の図版を思い出してください。三蔵法師と孫悟空、この関係が、哺乳動物に乗っている前の児童と、後ろの双頭鳥人との関係なのである。人間個人の意識から見れば、現在自我と潜在守護神との関係である。これがおもに追及すべき題材ではあるが、もちろんその他に多くの知恵が隠され、暗示されているわけである。
 ものごとの段階とプロセスを測る、如意棒。またどのような妖怪がどのように三蔵法師をたぶらかすか、これらから学ぶ知恵は、ファンタスチックな空想物語の中だけのことでは無く、現実の知恵、洞察力であり、また天竺への道程は意識、霊魂の修行とともに、その段階
とプロセスと解釈すべきだろう。
 そのほか、秘儀隠喩の物語として、西遊記と双璧をなすところの〔ダンテの神曲〕においても同様に、そこで語れている情景とは、死んでから行く冥界の物語などではなく、その三界の構造は<意識、霊魂>の構造として現実世界の精心情景のカルテとして観察するべきものである。
 そのほかファンタスチックな小説では〔指輪物語〕〔アーサー王〕また神曲同様に人間社会の有様を網羅しようとしたシェイクスピア、ゲーテ、そのほか秘儀研究作家によるメルヘン小説などが多くある。
 日本では、平家においてこの学問が盛んであったと思われる。しかし人間歴史の定めどおりに<驕る平家ひさしからず>となり、各地に離散していった落人によってのおとぎ話、子供の遊び、わらべ唄、などに託されて語り継がれてきたと推測される。また近代においては、大本<王仁三郎の霊界物語>もそのうちの一つである。
 これらの叡智を追及してゆくうえにおいて、あるていど
意識質量的考察を育てておかねばならない。この考え方は、日本人にとって馴染みがないだけでなく、不遜な考え方として無視排斥されかねないのであるが、分析思考理論と、情緒的ゆらぎの美観とがバランスを保った思考感性を持たなければ、この道はかならずどちらかへ堕落するものである。

            
〔西遊記〕
Aug10332_2

 
〔ダンテ・神曲地獄篇〕   〔シェイクスピア〕

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 下左図は、ダンテ神曲地獄篇、ウイリアム・ヴレイク画、地獄門入り口部分。
 「いっさいの望みは捨てよ。汝ら我をくぐりし者よ」
 下右図は、フランス、ニースの画家、モッサによるシェイクスピアの挿絵部分。
 「目覚めよ。そして警戒せよ」
ここでは関係無いものであるが、今の時代にぴったりな警告にも思える。

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立方体・キューヴ

 立方体、キューヴと題しているが、ヘキサグラマトンをさらに推し進めた論文である。
 上下の三角形の合わさったところに、二ポイントが四ポイントとなって四角形が生じる<上図>。さらに立体に展開したキューヴの図を<上図下>に載せておきます。この内容が三分化されて縦横3×3=9の最小単位の創造要素が展開する。この要素を人間の心理器能に置き換えたのが<下図>である。
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 ※立体展開図を、現実五感世界としていることについては<グノースティコイ・綾,

現在は削除>簡単にマトリクス理論も参照。
Aug30335  
 ※この場合の数値配置は、一応順序だけの意味である。
 ここで感覚が最も下位で、思考が何故上に位置するかと言えば、感覚器能が最も硬く重く、重力に反応する意識質量としているからである。これは今理解できなくてもよいものです。そのほかの三要素を当て嵌めるときも、重く堅く暗いものを下から順に配置してゆくことである。
 まず、この心理要素の概念を挙げておきます。
 ①五感、視覚、聴覚、触覚。
 ②感情、喜怒哀楽の発達段階か、感情のみ。
 ③知能、知能思行、体験に反応するだけの発達段階の思考。
 ④感覚、情緒段階の感覚、精心的快感や好悪感覚の発達。
 ⑤情緒、繊細な感情の発達で、主に芸術感覚の芽生え。
 ⑥思考、多くの体験を基にした考えるにふさわしい哲学思考の発達段階。
 ⑦感性、哲学的思考感性、潜在的に積まれた転生からの知識の貯蔵庫、直観の源。
 ⑧精神、この段階での感情は、芸術的であると同時に、分別と節度をも意図した精神である

 ⑨ここが、叡智の結晶化による判断ができる段階である。

 たとえば<思考の段階の感性⑦>は、転生を含めての刺激因子、体験記憶による認識を意味しており、この認識の質量によって現在意識の<思考>の好悪判断が決定されるのである。それは万象から思想哲学にまでおよぶものである。長い転生から現在までに、感性のなにを育んできたか、なにを失ってきたか、によって思行方向がきまるものである。もしも人の感性質量が読み取れれば、その人の思考習慣や運命形態まで読み取ることも可能である。
 およそ感覚の柱は、情緒、喜怒哀楽によるトラウマなど、刺激因子、体験記憶の貯蔵庫であり、しかもこの中で潜在的に類似連鎖を起こして凝固してゆくわけである。
 そして、思考が知性へと向上してゆくほどに、習慣的な好悪感によって下していた判断決定に疑問をもって自己を観察することができるのは、最上段の<知性⑨>にいたってからである。

 さらに、この三つの要素を、他のさまざまな事物に置き換え、当てはめてゆくと、より観察力、洞察力を培う道具となるものである。
 たとえばアート作品については、技術、情緒表現、哲学性などをあてはめてみることであり、また①~⑨までを縦に並べ替えてみると、物事のプロセスを測る定規ともなるわけである。使い方は、すぐ理解できるものではなく、人生体験と同じで、積めば積むほど要領を得て、手放せなくなるもので、この定規を使って物事のレベルと、過去未来のプロセスを観察する方法などを挙げてゆくとすると、ゆうに一冊の書物になると思う。
 いずれにせよこのような知性探究の道は、現世では即力と成るものではなく、かえって無意味とも思えるものである。しかし転生において揺るぎ難い人生レベルを獲得できるのはこの方法しかないのである。現実に、人の品格性格と言うものが、その今生においてのみ育て上げられたものとは言い難い感覚があるのはそのためである。

※この論考は、後もう少し付け足すかも知れません。

 普通、知能③と知性⑨とは見分けがつかない。とくに現実主義者にとっては、知能の発達以外のなにものでもない。しかし、深く探求してゆくものにとっては、重要な課題であり、それは<知能母体の中の子><現世の人格形成と霊魂の資質>のような違いがあり、見分けられるようになってくる。
 一般的には、この二つは相乗効果によってそれほどの違いが無く類似しているものである。しかし常に何パーセントかの割合で、この間にギャップのある人物が生じる。その場合、その人の霊魂質量を見分けることは不可能である。よほどの霊能者であっても、読めないか、読めても語らないか、であり、時節にいたるまでは、表面化することはない。この霊魂の秘密は、現世の物語や、その役目によっての重要な秘密だからである。
 しかし、個人々、自分自身においては、この知性の質量を模索し、見分けられるように訓練して、上昇してゆくことは可能で、またこの訓練こそが錬金術であり、現世生活の意味でもある。

 <現在の私たちの思考段階>
 たとえば、現在の私たちの思行判断は、感情の段階の4~5番目にあたるだろう。この段階は、理論的発達を遂げながらも未だ相対感情に強く影響を受けて、判断決定がなされていることを、自分でよく理解しておかねばならない。
 

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柏葉紋

 ※この記事は、次の記事を投稿の際には削除するかもしれません。

 スサノオ、メノラー、柏葉紋様。この関係は、今だに明瞭ではなく、史実資料においては僅かで関連性はさらに曖昧である。この論稿では、結論を急がず,たんに資料と推測を挙げてみました。

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上左図・布施神社の千木下の紋。
上右図・同神社の土蔵白壁の紋。
下左図・日御碕神社の紋に類似した家紋。
下右図・メノラーではないか?とされる柏三つ葉家紋。
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岡山県旧奥津町、鏡野町、布施神社の看板。
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左図、桐の家紋。
右図、ピタゴラスの挿絵左下に描かれてあった、七支剣と酷似した哲学シンボル。

 桐の家紋は、花の数から、五・三紋とも言われ、三つ葉の葉の形からして、かなり秘儀性の強い家紋と思われる。ほかに花が五・七・五付いている七五桐家紋がある。またおもしろいことに、先の尖ったデザインにしているものを、鬼桐家紋としている。
 柏葉紋、桐紋、三つ巴紋とスサノオ尊との関係はこれからの興味ある研究課題である。

 ピタゴラスの挿絵は、ついでに挙げたもので、もちろん近年のものでメノラーよりは、枝が三本多いのであるが、非常に七支剣と酷似している。七支剣も、やはりメノラー、生命の木、などの哲学シンボルであったと考えている。
 このように追及してゆくと、柏葉紋様、桐家紋のルーツが強いて言えばグノーシスであった可能性は高い。おそらくこの間のリンクが、古事記、日本書紀以前に焼失してしまった古文献に記されていた可能性も否定できない。

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意識段階

 意識段階の論考であるが、ここからすでに個人的沈黙のうちに進めてゆく学問であることを理解しておいてください。知性レベルについて公に論ずることは、必ず止めどない愚かな泥沼論争に陥ってしまうことは日を見るよりも明らかである。
 一般的人間は、どのような思想でも、誹謗、中傷、陰険な策謀に使うものであることに気付いておくべきである。たとえば、性が全ての生命創造にとって重要な真実であるが、それを露わにすることは、醜悪であるとされるのによく似ていて、真実真理を公表することは稚拙で愚かな行為でもある。これも、秘密の教義、とされる理由の一つである。
 だから、常に自分自身で他人や自己を正確に観察してゆかなければならないのであるが、ここで相対感情によって公平鮮明さを欠いてくると、かならずどこかの段階で止まることになる。実際ここでの正確な観察力は、内在の指導者による試みと援助なしで培ってゆくことは不可能である。<ダンテとヴェルギリウス>のように。
 このようなことで、あまり書きたくはなかったが、探究者にとっては、意識の段階を深く繊細に観察し、各段階に当てはめてゆく作業は、なにより先行すべき重要な課題である。それは、人間の意識も、森羅万象もよく似ていて、自分自身を知ることは創造を知ることになるからである。

 次の図は、意識段階を測る、尺度の型であると考えてください。

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 <大段階の⑥> 
 左側のマクロコスモスとしてある⑤⑥⑦段階は、創造進化過程で、人類の位置を示している。
 したがって、ここでの①~⑨までの段階は<ミクロコスモス・人間>の意識段階を表している。また⑥は、これまで説明してきたように、あらゆる事物の中心、中間、境界線でもある。
 肉体を持った、現世の人間の意識段階、現実観念を基礎とした思考は、①~⑥までで、それ以上、⑥⑦⑧は霊魂の法則を考慮した、知性のみの進化過程を意味する。およそ紫色で示してある、⑦⑧⑨段階である。知性に関しての意識段階を測るには、この尺度を使うのが最適である。
 概ね③段階から、個人的自我意識、知性の萌芽を意味する。さらに⑤段階までは、現実観念の知識知性範囲である。だから⑥段階に達してはじめて現実物理以上の法則に気がついてくる段階にはいるわけである。
 その一方的現実観念での④段階は、体力気力優先主義者。⑤は、知能能力優先主義者で、その後半は現実主義ではあるが、情動的慈善道徳主義者、となる。一般的には、この段階で進化はストップしてしまう。しかしそれ以上の疑問を持つ資質ある者は、さらに無形の要素である、形而上の霊的法則へと知性を広げてゆくことになる。

 〔三重の体〕

 以上の意識段階を横として、人間の三つの体<精神体の性質><転生する霊体の性質><身体の性質>を縦の基礎として縦横合わせることにより、非常に複雑な個人の性格と運命が織りなされるわけである。縦、三つのヴォディ。横三段階。<型は、キューヴ参照>

 <肉体の性質>
 先天的遺伝要素。体形や臓器の強度によっても、その思考傾向に影響があるものである。
 <精神体の性質>
 後天的要素。教育環境と生活環境、風土の記憶によっても思考傾向に影響をおよぼす。およそ10歳まで育った風景環境はほぼ一生を通じての性格を造り上げる。
 <転生する霊体の性質>
 もっとも潜在的であるこの性質は、本人の知性の発達過程において自覚してゆくものである。
 たとえば、現世では、上層教育とその遺伝で育った身体でも、霊体は③程度の本能欲動である場合や、反対に低い教育環境で育った身体に、⑥程度の高度な知性が内在していることもあるわけである。

 〔意識段階①~⑨までの内訳〕
 ①②③爬虫類。本能欲動、弱肉強食。体力気力が主体。
 ③④⑤哺乳類。現実主義的相対感情思考。
 ⑤⑥⑦霊長類。現実的情動道徳→霊的道徳へ。
 ⑦⑧⑨霊的均衡の叡智へ。
 また現世でいる限りは、高度な知性を獲得しても、その作業は肉体と霊が合わさっている位置、⑥の三次元世界、現実世界においてなされる。
 
 人間の段階では①~⑥と上昇するほどに知性の質量は増してゆくが、思考力が増強するほど気力は減少する。反対に、体力や気力精力などの生命力は知性の低い①ほど強力で、子孫を産む力、繁殖力がある。現世ではどちらかと言えば、この両極端の形態が普通である。
 この知性と気力双方を兼ね添えた文武両道とは、じつは現世では在り難い奇跡的な状態なのであって、守護者の錬金指導によってでなければ成就はあり得ないことなのである。つまり知性質量と、純粋生命質量とは相反する性質の氣で、水と油のように常に分離する性質なのである。

 次に、この尺度の型を考案するに到った経路を挙げておきます。そのひとつは、前記事の<国常立尊と男根崇拝>に挿入してある図版<十六世紀、太陽の光輝、大英博物館>である。
 この図で、梯子の人物が、右足を⑥段目に掛け、左足を⑦段目に掛けて作業していることに注意。この左右についても意味があり、これに関した図版<原型的人間、おそらくアダムカドモン>を挙げておきます。
 両足だけでなく、さらに両手、頭部の位置を考えて、どの領域で作業しているか、を考慮しておく必要がある。原人の縮小された構造が人間であり、自分自身である。
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 あとは、自分自身で現実をよく観察しながら、この尺度を埋めてゆくことである。これが完成に近づいてくると、人の内性が読めて、そこからはじまるプロセス、運命形態が推測できるまでになるだろう。この思考感性を獲得してゆくことにより、占術<運命のバイオリズム>などを活用できるようになるわけである。

※もっと現実的な人間の在り方を書くべきであると思うが、結局重複したことしか書けなかったわけである。ここで一度記事を整理して、さらに言及してゆきたいと考えています。
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 <追稿>
 ⑥段階を、境界線としたところで、ついでに書いておきますと、なにも説明無しで書いてきた<グノースティコイ>とは、理解できる資質の有る人々、と、わたしは解釈しております。つまり、境界を越えた向こう側に哲学的知性を置ける人のことです。
 善悪の彼岸、あるいは映画では<薔薇の名前>など、耳にしただけでなにをいわんとしているかが直観できる人々でもあります。

 

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スカラベ

 センチコガネのスカラベが、なぜ聖虫に選ばれたか。それはフンを転がして巣穴に運ぶ様子が、太陽が東から昇り、西に沈むさまに似ているところからきているとされている。
 次の図版は、使途不明であるが、女性のひな形とされている木製の切り抜き小板である。
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 中央と右側のものは、見たとおり女性のトルソーである。さらに左のものも同様に使用したものとして、スカラベの運ぶ太陽は、子宮へ運ばれるものであることが判り、また古代エジプト人の観念として、太陽の沈むところが大地の女神の子宮であることが想像できると思います。
 子宮は地下世界、冥界への入口。日本神話的には、イザナミ神の司る黄泉の世界である。冥界では、腐敗→分解→再融合→新生へと錬金プロセスが行われる。
※赤線で囲んであるスカラベは、本来ならば運ぶ太陽は後ろになるのではないか、とした私の創作図である。
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<エジプトのオイディプス><スカラベ神・ヘプリ>

 左図、エジプトのオイディプスにおいては、スカラベが、各惑星で示されている進化過程を通過してゆく道程を表している。したがってスカラベが、自我意識の象徴であることが理解できるだろう。
 この図でスカラベは、霊的進化過程を巡り、中心の<完全体><霊の統一体への回帰>とされている位置に到達する。そして、再び最初に戻ることになる。この循環を<宇宙霊の螺旋的進化>とも書かれて、およそ永劫回帰を意味するものだろう。
 ※中心の図版に注目しておいてください。これからの論文に重要な型となるものです。
 右図は、スカラベを頭にしたエジプトの神<ヘプリ>である。動詞<ヘプリ>の意味は、
 自ら存在に到るもの。
 生成するもの。
 変化するもの。
 さまざまな形の主人。などである。

 さて、定説からスカラベが自我意識ではないか、としたところで、ここからわたしの一般定説からは逸脱した自説を述べてゆきます。エジプトの図柄に反してフンである太陽を後ろ脚で運ぶスカラベを象徴的型として、自我意識の構造を試みたものです。
Nov01346
 〔映像・現実世界・五感の鏡〕
 わたしたちの視覚で見ている現実世界は、固定して見ると、横幅約160°ぐらいだろうか、の楕円形の鏡で、しかも焦点が合っているのはほとんど一点にすぎないものである。それをいつも全体を見ていると感じているのは、移動による記憶連鎖によるもので、さらに映像の鏡は、このスカラベ図のように、進行方向からすれば逆の後ろに位置することに注意しておいてください。

 〔視覚・現在意識の方向〕
 現実の五感感覚では、見ている方向が前であり、前進している方向である。しかし意識構造からなる、エネルギーの流れの方向は、このスカラベのように逆であり、わたしたちが見ている五感世界<鏡に写った映像>は、見た瞬間から過去へ過去へと消滅していっている。<スカラベの進行方向は、時間でもある>
 
つまり、積まれてゆく認識となった意識エネルギーの最終段階がフンで象徴される太陽で、その光である形成要素エネルギーが形成の鏡<五感世界>に反射する、あるいは鏡によってその五感刺激を発した後、そのエネルギーは還元され、再び認識によって形成の過程を通過してゆくわけである。この過程を通過することにより、現在自我が反応した思考判断が認識と五感映像になるまで時間がかかり<繊細には時間と形態>にギャップが生じる。この差によって、現在自我の記憶<自分の意思>とは無関係と思われるような現実が映し出されるわけである。この時間差は、その今生に現わされるか、あるいは来世に現れるかは、その要素によって違いがあるのだろう。
 ここで形而上の感性に敏感な人は、自分の人生において、
形態は異なっているが、同じ運命を繰り返しているのではないだろうか?と疑問が生じるのである。
 同じことを繰り返すのは、現在自我が見ている世界に対して、
同じ思考判断、情緒反応を繰り返すことによって認識が変化せず、慣性の法則でさらに凝固してゆくためである。
 この創造エネルギーの循環構造をよく知りつくしているのが、呪術師、シャーマンであろうと思う。シャーマンの生活習慣には、三日として同じ屋根の下に棲まない放浪癖や、使用した道具などを二度使わない習慣がある。
 一般社会においても、類似する習慣を持っている人、同じ道を通らずよく変えるとか、食器など長く使いたくない、独立独歩を好み、組織群衆でいなければ不安を感じるということも少なく、また所帯道具が極端に少なく、定住を好まず引っ越し魔の性質であるとかの人々は、おそらく野性的シャーマン思考感性の資質を内在的に持っている人であろうと思っている。

 〔形成要素である太陽・潜在意識に積まれていく認識〕
 現在自我を通して入ってくる喜怒哀楽の刺激、パルスは、思考領域よりも粘度、凝固度の高い質量を持つ潜在意識の領域に入ると、そこで慣性や類似連鎖によって認識として凝固してゆくわけである。
 この凝固の仕方が非常に不可思議で、それは夢映像とよく似ている、と考えている。夢映像は、好悪に関係なくインパクトの強い刺激どうしが融合する場合もあると考えている。それが夢をさらに狂気に満ちた世界にしている理由でもあるのだろう。いずれにせよ、潜在意識の倉庫は、これらの認識の要素で満ち溢れているところである。
 凝固された認識が太陽であるならば、鏡は大地となる。

 付録〔移動の概念について〕
 霊的観念においては、現実世界で認識しているのような<自己が移動する>という観念とは異なる。自分が移動する、のではなく、
周囲の五感世界が変化展開するのである。たとえばシャーマンが、いくら歩いても疲れを感じないのであれば、この観念の中にいるからである。
 この認識に関しての<観念トリック>については、できれば後論考を設けたいと思っている。
 この特異な空間概念は、シャーマン的感覚であるとどうじに、結局は仏教的でもあることをご理解願いたい。またこのような思想は、集中的に考える必要はなく、さらりと頭に入れておくと、ふとしたおりに現実の在り方を考え直すときがあるものです。

 空即是色、色即是空。

 
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おしらせコーナー

Gennsi

 霊力を感じさせる鬼面に出会いましたので、このブログの御守りも兼ねてしばらくのあいだ飾らせていただきます。

009  

 「なんじの鳴るがごとく、なんじに成る」

 「なんじの鳴るがごとく、なんじに成れ」

 復讐と罰を与える権利と力は、神にあり。

 この呪文は、これからの時代、双方に威力を発揮します。

 sandclock

さて今年も終盤に入りましたので、このコーナーは閉じます。

肝心なところは記憶しておいてください。


 newlibra

 ゆっくりとではありますが、分離は進んできているようです。もう少し時代が進むのを待ってから核心的な題材に入ってゆきたいと考えています。それまでは、スサノオ信仰の在り方を模索してゆきたいと思い、またこの尊の導きと守護と罰の働きが現れることを切に祈願いたしているしだいです。
 これからは、本当に一様な善悪判断でいると神を見失うこともあると思います。神が自分の内側から見ていることと、純心性を失くさないように他批判を避けて内実性を重視してゆく霊的環を広げて行ければ幸いです。

 創造の原理と、人間、自分自身を探究する学問は同じである。

 芸術感性、自己創造の遊楽は、人間存在の本質であり理由である。

[第三の真理]
 聖典や神示を読んでゆくうちに、ここではこのように書いているのに別のところでは違ったことが書いてある、と思ったことはないでしょうか。それほど数多く読まなくてもこのような疑問にであうことがあると思います。
 一般的には、いずれか自分の思想や立場にあった言葉だけを真理として信じている人がほとんどです。これが元となって数多の宗派が生まれたのでしょう。唯一の真理探究者は、相反する言葉を合わせられるところに語られない第三の真理を発見してゆくべきでしょう。単純な視点のリバースが、探究の技術でもあります。意識の集中が、常に他批判に外れる要素はニヒルな虚勢によるものです。
 

 アマテラス紀である現代は、青銅紀、鉄鋼紀、油田・ガス・電気時代、金融経済時代を経て、次に自然の神が荒れ狂う時代に入ろうとしています。このあと天候の変化はもちろん、経済の混乱、政治の混乱と人知におよばない状態となってゆくことだと思います。この過程をとおして人類の性質は二つに分離してゆくことになるでしょう。
 その兆候が、2008年に見えてきたようです。

new2009年に入って、政局の愚劣な混乱と、また反対にほんとうの人道的生き方を示すような出来事が報道されていることに気がついていてください。
政治的には、見た目は国と国との問題にも見えますが、最終的には個人がどちらの道を選ぶかにかかってどちら付かづですまされない時代となります。
急ぐべきはどのように、どのような性質に分離されるかをよく考えておくべです。
わたしの感覚では、展開の速度が速くなってきたと感じています。

 この世は修行の場とか、霊魂の苗床という思想は昭和初期生まれの人にとってはかなり普通の宗教思想であったと思います。わたしの霊魂進化論も、この思想がベースになっていることは確かです。
 よく考えてみますと60年代以降生まれの人にとっては、安易で過剰な平等意識を刷り込まれているわけですので霊魂に淘汰進化などとは耳に馴染まないのも無理からぬことです。
 戦後教育によって精神性を失った無責任時代、ゾンビ、偽善仮面のソドムとゴモラ再来の時代と、このような予想は当時から囁かれてはいたのです。
 ある預言者は「20世紀の人々はかわいそうである。魂を取られる」とも語っている。
 社会も科学も輝かしい進歩を遂げた時代の舞台裏である。

 〔予定〕
 <アマテラス紀、姉弟の時代>
 アマテラス紀Ⅰとして書いてゆくつもりですが、より理解しやすく、また最後まで書けるかどうか自信はありません。

 aries
 

            winesecret number of MIROKU

            ⑦
           ⑥
                   ⑤   

  shoe〔出雲散策〕
 摩陀羅神社の三十二花弁の菊華紋

 年に一度ほどですが、出雲に通い始めて数年たつわけで、ほぼ肝心なところは行き尽くしたと思っていたのです。そこで三年ほど前から始めたらしいのですが、出雲国神仏霊場めぐりなるパンフレットが目につき、ならば出雲大社参拝のついでに一番近いところの鰐淵寺と書いてガクエンジという二番札所に行ってみたのです。
 山深い寺ですので神秘的な空気は言うまでもなく、本殿までの横手の紅葉の木は幹が太くそうとうの樹齢を感じるものです。
 本殿に参拝して、左横に鎮座する摩陀羅神社にも参拝して、ふと神社右側を覗いてみるとどうやら菊花紋が彫られてあるのが見えたのです。よく見るとどうやら花びらが多いようなのです。ひょっとすると、三十二弁あるかもしれないと思い、目を凝らしてみたのですが、なんとてお月さまが二重に見えるようになったわたしの目では数が読めない。とにかく写真に撮って帰り拡大して見たのです。
 やはり三十二弁でした。しかも中心は三重円。あるかもしれないとは思っていましたが、本当にあったとは感激でもあります。
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<摩陀羅社から三台杉だろう、を通して見る本殿>
 この杉も、稀に見るりっぱな大杉です。
35a
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 どうもこの神社も出雲大社同様に謎ある由緒ある神社のようです。おそらく社名の摩陀羅は仏教の勢い盛んな時期につけられたものかもしれません。いずれゆっくり探索してみたいところです。
 
 開創 天台宗、智春上人により、推古天皇二年、西暦594年とされています。
 <出雲国神仏霊場・鰐淵寺>について、アクセス等はHPがありますのでそちらをみてください。

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神性配置

 論稿〔意識の進化〕では、ダーウイン進化論と同じく人間を頂点として、水棲動物→爬虫類→哺乳類→霊長類・人間と、現実の進化の在り方、また脳の構造とも一致する順序を当て嵌めている。
 ここでもう一つの考え方として、さらに秘教的で不可解な順序を試みた配置を挙げておきます。またこの論稿におきましても型の紹介にとどまり、この配置に到った経緯と説明は省略しております。

002
 上左図、平面世界を球形で切り取った古代の世界図。
 上右図、〔スカラベ〕でのエジプトのオイディプス図の中心にある図形。
 下左図、ヘルメスの持つ、天球図。
 下右図、十牛図、六番目図。
 ※ヘルメスの持っている天球の平面図が<エジプトのオイディプスの中心にある図形>で、それを古代世界画と合わせて解釈したのが上右図。この図形が十字架の元型であるとするならば、それにもっとも近いものがロシアンクロスである。<下図参照>

 図で示してある海底から山頂までが、およそ意識生命体の活動できる場である。この間に十二星座、獣帯が配置されているのは、生命体の各性質が表されていると考えている。図での斜め点線は、梯子、意識の段階を意味している。
Nov27353
 斜め十字は、私のイメージとは逆であるが表か裏の問題だろう。実際のロシアの墓標は地平から上だけのもので、下の十字は、推測である。
 唯物論発祥の国であるロシア聖教の奥深くには、いったいなにが眠っているのか、疑問にも思うのである。


Nov22351
 ※上図では、上下は関係なく、梯子の足の位置を示している<これまでの図版を参照>
 数値と音階に当てはめている動物の配置は、現実世界での生息地域<海・大気圏内>と相似させたもの。
〔海底・海〕水棲動物。
 爬虫類、主に地中。
〔陸上・平野〕人間。
 哺乳類、高原。
〔山頂・空〕鳥類。
 さらに秘儀象徴<知性段階>としての意味では、エジプト神話などで使われているように、神性シンボルの配置で、つまり神の性質と能力を表していると考えていただきたい。
 たとえば<ラ・8>は、エジプトのトート神で、トキやヒヒで表わされる。鳥類はトキ、日本では鶴であるが、双方とも白、黒色が示されていることに注意しておく必要がある。
 鳥類ではほかに鷲、鷹、カラスなどがあり、とくにカラスは各段階<地獄から天国>までを自由に飛び渡れる鳥と思われ、神話でも伝信の神とされている。<ワタリガラス・ヤタガラス>参照。
また西遊記で言うと、<レ>サゴジョウ。<ファ>三蔵法師。<ソ>ハッカイ。<ラ>孫悟空。ここで考えておくことは、<ラ>の統合された智慧が、<ファ>人間の守護者にもなっていることである。

 〔意識プロセスの参考神話など〕
 禅宗<十牛図>の六番目図<騎牛帰家>では、児童が牛に乗った<最初下右図を参照>姿である。さらに七番目図<忘牛存人>では牛は消えて童子だけとなり、牛は童子の内に居ることになる。つまり内外反転の思想である。十番目は布袋様が現れ、ちなみに布袋様は弥勒菩薩の前身ともされている。
 <神曲・地獄篇>
 意識のプロセスを、地獄篇から始まってエルサレムで終わるとするとき、中間地点は地獄の底であるルシファーの腹の中である。意識は、この地獄の底、あるいはルシファーの腹の中でグレンと180°ひっくり返る、変転するのである。
 ここで十牛図六番目から七番目の内外反転とルシファーでの上下変転の思考性、もの見方、視点の転移に重大な関門があることを熟慮しておく必要がある。あとの段階は比較的順序の理解できるものであるが、この境域は、一度すべてを捨てる白紙に戻す術<哲学的死>が不可欠である。
 <サタンとユピテル>
 <スサノオと大国>
 <オイディプス神話>
などを参照。このように一つの教義や逸話だけを信じるのではなく、多様な比喩を読み比べてひとつの真理、実態を把握するように学ぶのが賢明である。

 なぜ、神話で動物の姿がよくシンボル化<神聖視>されているかについては、進化するにつけて、人間は動物の本能器能を失っていった。この一度失った<野生意識感覚器能能力>を取り戻すことが神霊能力を獲得することなのである。つまり総合された動物感覚能力の象徴動物が<麒麟・龍>などである。

 配置の論考が一応終わったところで、順序にも二種あることを考えておかねばならない。たとえば霊的順序、アオウエイ。現実順序、アイウエオで、これとともに中間と中心の意味も不可解な意義があることを探究してゆければと思っています。

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スサノオ紀

 まず、スサノオ紀とはどのような時代を意味するものか、大まかではあるが、その定義を挙げておかねばならない。
 スサノオ紀は、妹背の理念である霊的均衡の叡智が主体<夫>となり、女性原理の五感現実感覚、知能知識(物理科学)が妻として従う政治理念<マツリゴト>で治められた時代のことである。

 [古代カースト国家制度]
 スサノオ紀とアマテラス紀とが交互に循環していることは述べてきたが、その周期が3000年か6000年か、あるいは12000年の大周期かはよくわからない。しかし現代文明以前のスサノオ紀が、ほぼ3000年前から急激に姿を消していったのは間違いのないところだろう。また衰退に平行して、現代文明の祖であるアマテラス時代が勢い盛んになってきたわけで、このためであろうかアマテラス時代の歴史は書き綴られ、衰退を辿るスサノオ文明はとるにたらない原始野蛮文明として、ほとんどが末梢されていったと思われる。
 この時代の世界国家構成について推察するに、およそ知性段階において、かなり正確なカースト制度が敷かれていた、と考えている。
 次の図では、世界国家の大要を表してみた。
Dec23355
 まず、世界統治中枢都市が中東<エルサレム>あたりに築かれ、ここに世界主宰天皇<一応ここでは天皇と表現しておきます>が居た。 この時代には、現在の砂漠ではなく、樹木生い茂る豊かな土地であった、とされる説もある。

 この天皇の統治都市を中心に、国際主要都市<エジプト、インカ、アステカ、など遺跡の残る巨石文明都市がこれにあたるだろう>があり、その下に各原始部族が点在していた、と考えている。
 この各部族が、人類の多様な性質を保持していて、南洋の平和民族も居れば戦いに明け暮れる人食い人種も存在していた。しかしこれらのいずれかの部族の力が巨大化して、他の部族を侵食したり、滅ぼしたりするほどにはならなかっただろう。それが知識のカースト制度によるもので、選ばれた者のみが段階に応じて教育を受けられるシステム、となっており、野蛮精神のままで高度な知識に触れることが少なかったためだった。
 この最終段階での教育施設として、現代にまで残っている遺跡が、ピラミッドではないかと考えている。各段階を通過してきた資質ある者が大回廊を通って何かの儀式が行われていたのだろう。たんに王の墓としては疑問の多い建築物である。
 私の推測では神社の元型か、あるいは霊魂の向上施設の、西洋的石造建築物がピラミッドで、樹木の多い東洋地域では古代出雲大社のような施設であったのではないだろうか。
 そうした儀式の部分的伝承が、天皇即位式などの儀式として残っているのかも知れない。

 [少数進化システム]
 また国家カースト制度による教育システムとは別に、どの部族にも<グル・師>的シャーマンが存在して、7人~12人?ほどの秘密のグループをくみ、資質ある者を導いていた、とも考えている。このシステムはスサノオ紀だけではなく、どちらの時代をも通して現代でも世界各地の主には半原住民社会地域で、しかも一般感覚世界からは離れたところで秘密裡のうちに行われている。普通まったく公に出ることの無いシステムであるが、時代の必要に応じてほんの僅か姿を現わすときがあって、その現代での代表が<カスタネダ>であろう。また、中国の仙人伝説がこれにあたり、その痕跡を色濃く残した中国映画に<山中伝奇>DVDがある。さらにブッダやキリストもこのグループが公になったものと考えている。もちろんその表面的教義は現代人にまで記憶伝承され、理解されやすい形態、物語にカモフラージュされているわけである。
 ※キリスト物語などは、人間の心理、情動感覚に強烈なインパクトを刻印するストーリー展開で構成されていることを考えてみるのも良いかもしれません。

 スサノオ紀の教育は、唯一の真理(創造の原理を、10のポイントに集約して、3・5・7の理論構造)グノーシスのみで教義され、現在のように多種多様の教義が散乱、混乱してきたのはアマテラス紀に入ってからの<言葉が分けられた>時代からであろうと推測している。

 カースト制については、現在ではインド、ヒンズー教に見られるが、主宰神のいない現在では差別の元凶に他ならないことになっている。日本でも同じように、神道、仏教は学問と等しいもので、貴族階級でしか学ぶことができなかったわけで、経文が一般人にまで普及し始めたのは浄土宗の発祥からであろうと思っている。

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小我について

 アマテラス紀では、現代文明においての霊魂の行方を追及してゆくつもりでありますが、その前に意識の上昇にさいして、どのような心理が理解を歪め、障害になっているかを論じておいたほうが良いかと思います。
 これら精神的題材は、およそ言葉や文字にできないもので禅宗的な体得によって悟ってゆくもので他に道はないと説く人、また理論化などとは高慢不遜なことであると言われる人もあろうかと思いますが、いわゆる「我を捨てよ」といわれるところの<小我>についてもう少し意識精妙質量の観点から理論化を試みてみたいのです。
 このブログにおいても<神、妖怪、幽界>というぐあいに非現実的抽象言語を使ったり、また反対に意識質量とか精神を化学反応的に見ることに違和感を覚え、頭からその思想自体稚拙なものとして決め付け軽んじたり中傷誹謗の感情が起ったとすれば、そこに潜在的な<ニヒルな虚勢心理・我>が働いていることに気付いておくべきです。およそニヒルな虚勢は表面の形態に強く感情反応して純粋な哲学知性を持たないものです。
 この思考性質は、人が現世に誕生して、物心ついてきた時点での段階<キューヴで説明した六段目、人間の意識段階である感情思考、詳しくは五段目から六段目の間、ここに小段階、生命の木を立てて考える>の意識段階から始まると考えている。

 まず、この段階の意識感覚は、さいしょ誰でも五感現実物理感覚からの意識反応で行動し判断し生活してゆくわけである。この一方的現実感覚によってのみ生活を続けてゆくことは自ずと次のプロセスを歩んでゆくことになる。
 <観念構造とプロセス>
 現実一方的基礎観念
 ①相対比較観念
 ②比較優越感情
 ③比較感情が幸福観念<快感器能>にまで凝固する。
 ④比較快感欲求による相克運命形態を繰り返す。
<スカラベ>理論参照、鏡による運命反復作用、慣性、重積。
 ⑤嫉妬憎悪感情の増強。この質量が下降の主要素<図では主軸>である。
 およそ、④ぐらいから運命<意識>の急降下がはじまる。
 次、理論イメージ図。
Jan31358_2
 ※下降意識では、他批判精神は増強し、知性質量は減少してゆく。
 左の図は、生命の木的に解釈した進化の繋ぎ目<シナプス>を表している。その連結線は生命の木の三つのポイントに対応する意識器能に当たるであろうとする仮説に基づいている。参考までに挙げておいたが私たちはこれほど複雑難解な理論に挑む必要はないでしょう。

 このように人間意識は五感感覚からはじまり、そのままでは気付き難いゆっくりとした転生を通じた時間>によって自然に下降しているのです。
 五感現実意識は堅く重い性質。
 およそ①②段階までは一般良識観に沿って生活できるが、③段階ぐらいから比較優越快感が増強して他干渉が著しく多くなり、過剰な社会批判から精神的、現実的暴力テロ行為<④段階>に移ってゆく。この状態はテロ宗教のピラミッド組織構造に類似する。
 ※宗教と名乗る団体が全て精神的であると考えてはいない。外、他に過剰干渉するのは内実では狭い感性の現実主義である。
 一般的には③段階で、いわゆる皮肉やの形態をとり、他批判の誹謗中傷嘲笑の多さが結局自分自身の運命を辛辣に変化させ④段階へと下降速度を増してゆくことになる。
 ⑤段階では運勢や能力の低下が急速に現れ、憎悪感情が全体を占め、霊性である知性の質量は各段に減少し、嫉妬憎悪の質量が個人の思考を支配するまでに増強する。
 この時点での意識状態は、霊的内生観察は著しく低下し、他人の弱点を見抜く狡猾さの能力は研ぎ澄まされ、いかに自己の虚栄を満たし復讐できるかについての他批判にのみ意識質量が注ぎ込まれることになる。
※この下降形態を観察することがこれからの課題で、現代社会での例証はアマテラス紀の20世紀後半あたりで挙げて行ければと考えている。また現実一方的観念と、霊的観念との相違も差し挟んでゆくつもりである。

現実主義者は、多数決集団を好み、それから外れた者を批判し、さらに低下したものは狡猾に個人の弱点をつき法律に触れがたく表面良識にそっていれば、個人を陥れることに関しての精神的呵責を感じることがなくなっていく。

 相対比較感情に支配された思考は、人間の快感、幸福観念にまで凝固していて、しかもそれは自覚されてはいない。しかし、この観念、心理構造こそが思考を歪め、判断を誤らせ、相克の運命を醸し出し、気づかぬうちに霊魂を下降させてゆく元凶なのである。この意識プロセスは、ある意味自然の成り行きでもある。つまり人間の段階にまで達した意識も、与えられた当然とする認識のままでは再び元に帰する構造となっているのである
意識感情エネルギーは凝固してゆく性質。どのように結晶化させるかが問題。
下降する運命の過酷さのどこかで形而上の理念に気付いてゆかねばならない。つまりここに下行く者との選択の道があり、その自主的気づきのことを仏教的に発願というのでしょう。
 じつに悟道を行く探究者は、まず自分自身でこの比較優越感情心理に気付き見据えて管理してゆくことが根本的作業であり、自他を観察する時も、この心理作用に気が付いているかどうかでほとんど見分けがつくものである。それはその人の判断要素がどのあたりにあるかが読めれば充分である。また反対に、自分はこのような感情はもはや捨て去っている、と思っている人はさらに迷妄に陥ってしまうものです。というのが現世では、この心理を消すことは無理であって、この世で生きる限りは付き合ってゆかねばならない、この世に降ろした錨のようなもので、要は管理するべく愚かさなのである
 この心理構造に気がついていない現代人にとっては、この観念を捨てることは実際死ぬことよりも辛いことになっている。比較優越観念が、欲動のままに表現されれば傲慢と呼ばれ、現世の良識に沿って表現されればプライドと呼ばれているわけである。

 神智学の創始者であるマダム・ブラバッキーの伝記に次のような逸話が載っていたと記憶している。B夫人は傍らから見ればすごく傲慢な人物であったようで、ある日かなりぶしつけな質問がなされ「あなたは、どうしてそう傲慢なのですか」と問いかけられたようである。その質問に対してB夫人は「それは、あなた方の利得、私の損失」だと答えたそうである。それはこの傲慢な習癖がなければ私はこの世に居なくて済む。これがあるからこそこの世で生きて、あなた方はこのような知識を聞くことができるのです。ということで、人間はどのようなものであれ、偏った習性<言い換えれば罪>を背負ってこの世に生まれ落ちることらしい。

 まとめ

 ニヒルな虚勢、我が、意識の下降の主軸となっている。
 霊線を太く確保してゆく人と、霊線を断ち切ってしまう人とに分離する。
 霊線は、霊的感性である。

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アマテラス紀①

 [王引退の仕組み]

 アマテラス紀を書いてゆく上において、多々重複ありますがもう少し詳しく纏め参考を挙げておきたいと思います。
 神話経典上の一般概念では、<日>とはこの世を照らす太陽と考えるのが普通ですが、経典などよく読んでゆくうちに日とか太陽で示すものに二つの意味合いがあると思うのです。
 ひとつは、先に述べたとおり<世を照らす太陽、アマテラス>
 もうひとつは<創造の光である、霊的太陽、スサノオ>である。
 このように日が示すのは、霊的太陽で、地上にあっては唯一の世界主宰神、天皇で、引退後の黄泉の国においては主に王子と呼ばれ、根の国の王子の意味で、ある地方では根子とも呼ばれたスサノオを示す。日本の日はこの世界天皇を意味する日で、その引退出自の国であるとする意味での日の本であろうと考えている。

 この王の統治と引退のサイクルは地球の息でもあり、この息によって人類、人間社会の営みが行われ多様な文化、物語が生まれる。息は性交でもあり万物万象を産出する創造行為である。このように地球自体も、その上で生活する人類全体も含めて一個の両性具有の生命体<マクロコスモス>なのである。

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 地球も一個の生命体と見るとき、英国は頭部<脳>でアマテラス的で、中東は<臍>を中心に胴体、心臓をも含めて考えている。日本は男性器にあたり、日の本の国であり、黄金、日の出る、また沈む国でもある。西欧諸国から見れば黄泉、根の国であると云われる?所以である。月黄泉命と関係があると思っているが、主な説ではインドが月の国とされている。またイザナミ神や、丑寅の金神などとの関係も追及してみたい。

 [英国・イングランド]
 日本と対峙するイギリスは頭部および脳に当てはめている。アマテラス志向、知能的で現代文明への開拓精神は、この地の<白人系アングロサクソン、コーカソイド>から発祥してきた、と考えている。つまりケルトやバイキングであるが、この民族や拡大する影響力の歴史的分布については未だ手つかずでなんの確証も持ってはいない。
 しかし現代までの社会秩序や物理科学を推し進め、侵略開拓して世界中に拡大してきたのはまぎれもなく白人コーカソイドで、イギリスおよび西欧諸国の貴族階級であったわけである。イギリスは数少ない女王国家でもある。この地域も、元来は霊的で精霊信仰の篤いところであり、貴族の紋章を精霊に貰ったという伝説もあるわけである。おそらくは、この地の民族に現代文明の祖となるインスピレーションが降臨したのだろう。
※人間社会は、未来のイメージを受け取ることにより、その追及と研究が盛んになる。最初のインスピレーションが降臨しなければ何も進歩することはないだろう。

※近代ハイメカニック科学のインスピレーションが降臨したのはドイツであろう。このイメージがを基に、戦争によって急激に進歩してきたわけである。

※イングランドにおいても、ケルト民族以前にダーナ神族という民族がいたようである。この民族も、日本でのウラ民族やインカなどとよく似ていて、季節、農耕、薬草、呪術の知識とその生活、またその民族がどこに行ったか、など歴史から消されたようなところは酷似している。

 [中東・エルサレム]
 中心に位置する中東は、臍にあたり顔に当てはめると鼻になる。
 背骨、および大動脈にあたるシルクロードを行き来していたイスラム、アラブ、ペルシャの行商人はユダヤ系が多かったであろう。おそらくはこのユダヤ人のグローバルな知識感性と西欧貴族階級の開拓精神が、現代までの歴史を織り込んできたと考えている。またこの二つの要素が後代に融合して、表に出ない隠れた歴史の原動力となったと見ている。

 [日本]
 日本は前述したとおり、日の沈む黄泉の国でもあり、再び王が世界にお出ましになり君臨するときは日の出の国、日の本の国である。英国の知能現実的に対し、日本は霊的、精神感性的である。

 [幽界、妖怪の定義]
人間の強烈な想念などは、自然界の精妙質量領域<幽界>に凝固します。善性邪性を問わずこの質量は増大するほどそれ自体の意志を持ち、再び現世の人間個人や社会に影響を及ぼし、強大なものは個人はおろか社会集団までも操り支配してしまうものなのです。私の場合この質量のとくに<邪性のものを、妖怪>と呼んでいます。
 いずれにせよこれだけ強力な精妙体は、私たちから見れば神に等しいもので、アマテラス紀に生まれた霊魂を下降させる妖怪の大元が、神話でのヤマタノオロチと言われている妖怪である。こうした妖怪の想念は、人間社会の流行としても伝染してゆくもので、この集団的潜在意識の状態、症状のことを、私は社会潜在心理と呼んでいます。
※神界は、簡単に述べて<大神・大法則><尊・意識生命体、成就した人間を含む><神々・精霊、自然霊>の三つの層に分けて説明がつきますがここでは省略します。
 この幽界の構造を不可解で、ある意味不条理であると思うのも無理からぬことですが人間ミクロコスモスと地球マクロコスモスとは同じ心理、精妙質量の構造で成り立っている<大なるものと小なるものは、よく似ている>わけです。つまり人間の現在意識と潜在意識との関係は、地球の地上と幽界との関係や、生々化育の循環の構造ともよく似ているのです。スカラベで述べたように潜在意識に凝固した認識は、再び現在意識に影響を及ぼします。

 [三つの根本心理]
 ここでは世界中に多々ある神話および経典の真理が、およそ三つおよび四つに分けられる人間の根本心理に還元できるものであることを少し書いておきます。
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 図、向って左側[霊的感性]<意識の柔軟、揮発上昇性質>
 図、向って右側[現実物理感覚]<硬化凝固重積下降性質>
 中央[双方から影響を受ける自我]<現在意識>
 現在意識を器として、または分離して構築される[見つめる自己、客観理知]<スサノオやキリストの位置>
 ※キューヴでの<⑨段階・知性>の意識に相当し、本当の意志の座でもある。
 この三つおよび四つの心理要素を根本原理として、神話的に説明したものが、世界に分布する多様な聖典で、その地域や人物の個性によって表現形態が異なったものである、とまずは象徴論的に解釈したほうがより理解しやすいものと思います。
 若干の例を次に挙げておきます。
 R・シュタイナーでは、ルシファーとアーリマン。中央のキリスト。
 大まかですが易教、および神道などは昇り龍と降り龍。スサノオ。
 カバラ、錬金術などは、ヘルメスとヘルメスの杖。
 私の場合、今回のように<アマテラス紀とスサノオ紀>に分けているが、スサノオの統治している時代そのものはツキヨミの尊の性質で、霊的精神質量のウエイトが高いと考え、ツキヨミ、スサノオ、アマテラスの三つを象徴化して当てはめている。
 あとギリシャ神話、ヒンズー教、密教なども当てはまる神名があると確信しているが、今のところ比較研究はしていない。
 この見つめる自己、客観理知とは誰でも一度は考えたことがある単純な思考である。このまったく純粋な思考にこそ存在宇宙の真理があると考えられる人と、そうではない人とに分かれると思います。またここでのアマテラスについての思想は、元来の概念からすれば天と地がひっくり返るような逆説でもあることを考慮しておいてください。

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彼岸の智

真理とシャンバラは、自分の内に探究するべきである。

創造のトリックも、手品のトリックもよく似ている。
「こんなところで」

空<カラ>の者に、実を語ることは愚行である。

律法を、外界人が使うと、
砂漠が広がる。

外界人は、時間と形態が異なれば、
左右相応、上下相応のプロセスが理解できない。

世界は、水でできている。
水に粘度在り。
空気、水。
有機体、鉱物。
結晶体。
ミクロコスモスと照応せよ。

創造は、認識の
トリック。

もっとも世に出てはならない奥秘の書は、主の両腕を露わにした書である。
時が満るまでは、表わされることはなく、もし語る者がいれば罰をうけるだろう。
時が満ちて、過去と未来、天と地、心と現が一つになるとき、
この書は、語られる。
※著者もさにわ中のインスピレーション。

主は、この世にビーナスを産み落とすために、自らの身を真砂に砕きに砕き、無限の時をかけて愚かさを、創造した。

時来たれば

   神道、科学
精神道徳、意識精妙質量理論
   新郎、新婦
として、聖なる結婚式が行われるだろう。

人間の本質は、いじめや、強いては殺し合いに誇りを持っている。
これを理解できない、知らない者は、新しい時代に転生することは無い。
人間の本質を知っている者のみが、よく制御できる者である。

わからない者は、善をもって人を殺す者たちである。

知性は、現実から形而上の霊魂の法則を知ることを経て、はじめて両方の在り方と法則を理解した思考がもてる。
ここにおいて、物事に対して<バランス、マツリ>の新しい判断思考を獲得できる。
それは二者択一では無く、本質を見抜く第三の思考性である。
来る新時代へは、この思考性なくしては入れないだろう。

[理解者へ]

このブログは公開してますので、コメント、トラックバックは閉じております。

理解者は各自探究していってください。純粋に構成してゆけばいいです。

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アマテラス紀②

[殉教の歴史]

貴族階級や地方の豪族など権力者の奢りと堕落による民衆への搾取隷属、これらアマテラス紀におきた殉教の歴史を通じて述べてゆくつもりですが、この論考の場合、迫害の歴史を通じてどのような霊魂が培われてきたか、が主題となるもので、正確な史実や宗教思想のどれが正統であるかなどを論じているわけではない。

たとえば殉教の艱難を強いられたのはキリスト教に限られたことではなく、また押し付けと侵略に使われたのも一つの宗派だけではない。

迫害の在り方も搾取と宗教殉教と分けづらいが二種類を挙げると、一つは人民搾取の歴史で、これは後に革命を呼び、現実唯物観念主体の共産主義に発展していった。
もう一方は、宗教的な弾圧による殉教である。

A<搾取迫害艱難者>
盲動貴族の開拓精神。侵略隷属化への革命の歴史。

B<信仰殉教者>
侵略開拓の正当化にキリスト教が使われた。主にローマカトリックであろう。
正統キリスト教の原始信仰への弾圧。霊的信仰や能力は、迷信、魔術、はては悪魔主義、異端として迫害される。
この理由のひとつとして霊能力への劣等感が潜在的にあったことも確かだろう。結局は原始信仰の神は、神に反抗する邪悪な悪魔とされるに到った。

信仰殉教者については、ドイツのホロコーストもこれにあたるだろう。

神の概念が<公平な審判を下す恐ろしき神>から、人間的な慈悲深きイメージに変化したのは仏教においてもそうであるが、ローマ政教の影響も多大であったろうと思う。
いずれにせよ、現代において正当化される宗教は、人間情動道徳に基づいたものでなければならない。
これと反対に呪術、霊能、に関連付けられたグノーシス、カバラ、およそ神道なども原始的迷信の領域、異端として排斥されるにいたる。

ここで重視することは、A B の迫害の歴史において、どのような意識が凝固されたか、が問題なのであって繊細な史実を重要視しているわけではない。

A 現実唯物主観
[支配者への復讐心と憎悪、狡猾な手段に集中する学習]

B 霊魂信仰観
[現世とあの世が存在し、現世は霊魂の苗床、試練の場に過ぎない。およそ現世に重きを置かない心情]

人間の歴史はこの二性質の霊魂凝固過程でもあり、このどちらを凝固させてきたかで、個人の意識の集中、判断選択の方向がきまるわけである。つまり、その後世においての運命の基礎要素でもある。

Bを結晶化させた霊魂は、20世紀後半の急激な便利科学の発展と物量飽和状態、甘やかしの現実主義優位で、霊魂にとっては暗い夜、最終的選択の時代であったが、それでも潜在的に違和感を覚え、自分の霊魂を守ることができた。

Aを凝固させてきた時代の胎動は、霊的世界を信じる国家、神道、霊能者たちも、革命を成功させた煽動の方法で浸蝕し、21世紀の初旬には崩壊させてしまうまでに増強してきたわけである。20世紀前半にヤマタノオロチが上陸して、20世紀後半には選択がほとんど決まり、21世紀初旬にはその現実化となる。

①霊魂進化論
②凝固されてきた霊魂の性質
③科学文明社会の進歩のうちに、試練と選択がどのように繰り返されてきたか。

二つの性質の意識質量を主軸として、①②③をベースに考えて、この三千年の霊魂淘汰プロセスから、歴史史実を観察してゆくことである。

  [ヤマタノオロチ] シンボルシャッフル型論考

父、祖神の試練によって、千尋の谷底に落とされた独り息子にあたるスサノオは、父の素質を受け継ぎながらも生まれてすぐに無智のまま大海原に産み落とされた。

それゆえにどうしても無智<0>から始まり、若く稚拙で粗暴無謀な悪とされるプロセス<弱肉強食~科学知識の獲得、人類の歴史>を通り、それが原因となり悪神荒神とされたわけである。
若きスサノオが、馬の皮をはぎ、神殿に投げ込んだのは、四大を科学分析して物理科学を打ち立てたことによる。
しかしその素質によって、どの民族よりも学習発展が早く、先んじてあらゆる知識を身に着け<人類の社会制度、物理便利科学、哲学>の発展歴史を経て、最終的に父の国の門前に立ち、祖神の霊性の中にこそ探し求めてきた純粋と美と調和がある、ことに気がつくに至ったわけである。

その父の国では、ヤマタノオロチによって外から内から攻められ、もはや最後の娘<クシナダヒメ・世界の主導権>を飲み込むだけ、尻の毛まで抜かれてまだ気がつかぬ、状態になっていた。
しかもいまだに神の示した裏の裏が読めずに、肝心のスサノオを門前払いにして、ほとんど遅すぎる状態となっている。

上の人がこのことわけを察して、しっかりと手を組むとどんどん埒があいてわざわいを食い止めることができるのであるが、まったく前面表面しか見えていないわけである。

グノースティコイと日本人はしっかりと手をつなぎ、未来を切り開いてゆかねばならない。
グノースティコイは日本の神を信仰し、日本人は彼らから叡智を学ぶべきである。

<スサノオは悪神である>とする、現在までに植えつけられた概念には、もはや必要は無いと終止符をうつべきである。
これが解れば、神の示した文の矛盾点が一つになり、第三の真理が読めるようになる。
とくに上の人は一日もはやく悟るべきで、これによってこそすべてに埒があいてくる。

悪神、宇宙人、メーソンなどがどうのこうのと見当違いで愚鈍なことを言っている間に足元と背後が占領されていることにまったく気づいていないでは、先で後悔しても無意味である。悪神などが日本を潰そうとおもえば戦後すでになっている。

※ここでのグノースティコイの意味は、たんに<理解できる資質のある者>で、史実上にある特定の民族などを示すものではない。

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