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スカラベ

 センチコガネのスカラベが、なぜ聖虫に選ばれたか。それはフンを転がして巣穴に運ぶ様子が、太陽が東から昇り、西に沈むさまに似ているところからきているとされている。
 次の図版は、使途不明であるが、女性のひな形とされている木製の切り抜き小板である。
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 中央と右側のものは、見たとおり女性のトルソーである。さらに左のものも同様に使用したものとして、スカラベの運ぶ太陽は、子宮へ運ばれるものであることが判り、また古代エジプト人の観念として、太陽の沈むところが大地の女神の子宮であることが想像できると思います。
 子宮は地下世界、冥界への入口。日本神話的には、イザナミ神の司る黄泉の世界である。冥界では、腐敗→分解→再融合→新生へと錬金プロセスが行われる。
※赤線で囲んであるスカラベは、本来ならば運ぶ太陽は後ろになるのではないか、とした私の創作図である。
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<エジプトのオイディプス><スカラベ神・ヘプリ>

 左図、エジプトのオイディプスにおいては、スカラベが、各惑星で示されている進化過程を通過してゆく道程を表している。したがってスカラベが、自我意識の象徴であることが理解できるだろう。
 この図でスカラベは、霊的進化過程を巡り、中心の<完全体><霊の統一体への回帰>とされている位置に到達する。そして、再び最初に戻ることになる。この循環を<宇宙霊の螺旋的進化>とも書かれて、およそ永劫回帰を意味するものだろう。
 ※中心の図版に注目しておいてください。これからの論文に重要な型となるものです。
 右図は、スカラベを頭にしたエジプトの神<ヘプリ>である。動詞<ヘプリ>の意味は、
 自ら存在に到るもの。
 生成するもの。
 変化するもの。
 さまざまな形の主人。などである。

 さて、定説からスカラベが自我意識ではないか、としたところで、ここからわたしの一般定説からは逸脱した自説を述べてゆきます。エジプトの図柄に反してフンである太陽を後ろ脚で運ぶスカラベを象徴的型として、自我意識の構造を試みたものです。
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 〔映像・現実世界・五感の鏡〕
 わたしたちの視覚で見ている現実世界は、固定して見ると、横幅約160°ぐらいだろうか、の楕円形の鏡で、しかも焦点が合っているのはほとんど一点にすぎないものである。それをいつも全体を見ていると感じているのは、移動による記憶連鎖によるもので、さらに映像の鏡は、このスカラベ図のように、進行方向からすれば逆の後ろに位置することに注意しておいてください。

 〔視覚・現在意識の方向〕
 現実の五感感覚では、見ている方向が前であり、前進している方向である。しかし意識構造からなる、エネルギーの流れの方向は、このスカラベのように逆であり、わたしたちが見ている五感世界<鏡に写った映像>は、見た瞬間から過去へ過去へと消滅していっている。<スカラベの進行方向は、時間でもある>
 
つまり、積まれてゆく認識となった意識エネルギーの最終段階がフンで象徴される太陽で、その光である形成要素エネルギーが形成の鏡<五感世界>に反射する、あるいは鏡によってその五感刺激を発した後、そのエネルギーは還元され、再び認識によって形成の過程を通過してゆくわけである。この過程を通過することにより、現在自我が反応した思考判断が認識と五感映像になるまで時間がかかり<繊細には時間と形態>にギャップが生じる。この差によって、現在自我の記憶<自分の意思>とは無関係と思われるような現実が映し出されるわけである。この時間差は、その今生に現わされるか、あるいは来世に現れるかは、その要素によって違いがあるのだろう。
 ここで形而上の感性に敏感な人は、自分の人生において、
形態は異なっているが、同じ運命を繰り返しているのではないだろうか?と疑問が生じるのである。
 同じことを繰り返すのは、現在自我が見ている世界に対して、
同じ思考判断、情緒反応を繰り返すことによって認識が変化せず、慣性の法則でさらに凝固してゆくためである。
 この創造エネルギーの循環構造をよく知りつくしているのが、呪術師、シャーマンであろうと思う。シャーマンの生活習慣には、三日として同じ屋根の下に棲まない放浪癖や、使用した道具などを二度使わない習慣がある。
 一般社会においても、類似する習慣を持っている人、同じ道を通らずよく変えるとか、食器など長く使いたくない、独立独歩を好み、組織群衆でいなければ不安を感じるということも少なく、また所帯道具が極端に少なく、定住を好まず引っ越し魔の性質であるとかの人々は、おそらく野性的シャーマン思考感性の資質を内在的に持っている人であろうと思っている。

 〔形成要素である太陽・潜在意識に積まれていく認識〕
 現在自我を通して入ってくる喜怒哀楽の刺激、パルスは、思考領域よりも粘度、凝固度の高い質量を持つ潜在意識の領域に入ると、そこで慣性や類似連鎖によって認識として凝固してゆくわけである。
 この凝固の仕方が非常に不可思議で、それは夢映像とよく似ている、と考えている。夢映像は、好悪に関係なくインパクトの強い刺激どうしが融合する場合もあると考えている。それが夢をさらに狂気に満ちた世界にしている理由でもあるのだろう。いずれにせよ、潜在意識の倉庫は、これらの認識の要素で満ち溢れているところである。
 凝固された認識が太陽であるならば、鏡は大地となる。

 付録〔移動の概念について〕
 霊的観念においては、現実世界で認識しているのような<自己が移動する>という観念とは異なる。自分が移動する、のではなく、
周囲の五感世界が変化展開するのである。たとえばシャーマンが、いくら歩いても疲れを感じないのであれば、この観念の中にいるからである。
 この認識に関しての<観念トリック>については、できれば後論考を設けたいと思っている。
 この特異な空間概念は、シャーマン的感覚であるとどうじに、結局は仏教的でもあることをご理解願いたい。またこのような思想は、集中的に考える必要はなく、さらりと頭に入れておくと、ふとしたおりに現実の在り方を考え直すときがあるものです。

 空即是色、色即是空。

 
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