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2008年11月

スカラベ

 センチコガネのスカラベが、なぜ聖虫に選ばれたか。それはフンを転がして巣穴に運ぶ様子が、太陽が東から昇り、西に沈むさまに似ているところからきているとされている。
 次の図版は、使途不明であるが、女性のひな形とされている木製の切り抜き小板である。
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 中央と右側のものは、見たとおり女性のトルソーである。さらに左のものも同様に使用したものとして、スカラベの運ぶ太陽は、子宮へ運ばれるものであることが判り、また古代エジプト人の観念として、太陽の沈むところが大地の女神の子宮であることが想像できると思います。
 子宮は地下世界、冥界への入口。日本神話的には、イザナミ神の司る黄泉の世界である。冥界では、腐敗→分解→再融合→新生へと錬金プロセスが行われる。
※赤線で囲んであるスカラベは、本来ならば運ぶ太陽は後ろになるのではないか、とした私の創作図である。
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<エジプトのオイディプス><スカラベ神・ヘプリ>

 左図、エジプトのオイディプスにおいては、スカラベが、各惑星で示されている進化過程を通過してゆく道程を表している。したがってスカラベが、自我意識の象徴であることが理解できるだろう。
 この図でスカラベは、霊的進化過程を巡り、中心の<完全体><霊の統一体への回帰>とされている位置に到達する。そして、再び最初に戻ることになる。この循環を<宇宙霊の螺旋的進化>とも書かれて、およそ永劫回帰を意味するものだろう。
 ※中心の図版に注目しておいてください。これからの論文に重要な型となるものです。
 右図は、スカラベを頭にしたエジプトの神<ヘプリ>である。動詞<ヘプリ>の意味は、
 自ら存在に到るもの。
 生成するもの。
 変化するもの。
 さまざまな形の主人。などである。

 さて、定説からスカラベが自我意識ではないか、としたところで、ここからわたしの一般定説からは逸脱した自説を述べてゆきます。エジプトの図柄に反してフンである太陽を後ろ脚で運ぶスカラベを象徴的型として、自我意識の構造を試みたものです。
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 〔映像・現実世界・五感の鏡〕
 わたしたちの視覚で見ている現実世界は、固定して見ると、横幅約160°ぐらいだろうか、の楕円形の鏡で、しかも焦点が合っているのはほとんど一点にすぎないものである。それをいつも全体を見ていると感じているのは、移動による記憶連鎖によるもので、さらに映像の鏡は、このスカラベ図のように、進行方向からすれば逆の後ろに位置することに注意しておいてください。

 〔視覚・現在意識の方向〕
 現実の五感感覚では、見ている方向が前であり、前進している方向である。しかし意識構造からなる、エネルギーの流れの方向は、このスカラベのように逆であり、わたしたちが見ている五感世界<鏡に写った映像>は、見た瞬間から過去へ過去へと消滅していっている。<スカラベの進行方向は、時間でもある>
 
つまり、積まれてゆく認識となった意識エネルギーの最終段階がフンで象徴される太陽で、その光である形成要素エネルギーが形成の鏡<五感世界>に反射する、あるいは鏡によってその五感刺激を発した後、そのエネルギーは還元され、再び認識によって形成の過程を通過してゆくわけである。この過程を通過することにより、現在自我が反応した思考判断が認識と五感映像になるまで時間がかかり<繊細には時間と形態>にギャップが生じる。この差によって、現在自我の記憶<自分の意思>とは無関係と思われるような現実が映し出されるわけである。この時間差は、その今生に現わされるか、あるいは来世に現れるかは、その要素によって違いがあるのだろう。
 ここで形而上の感性に敏感な人は、自分の人生において、
形態は異なっているが、同じ運命を繰り返しているのではないだろうか?と疑問が生じるのである。
 同じことを繰り返すのは、現在自我が見ている世界に対して、
同じ思考判断、情緒反応を繰り返すことによって認識が変化せず、慣性の法則でさらに凝固してゆくためである。
 この創造エネルギーの循環構造をよく知りつくしているのが、呪術師、シャーマンであろうと思う。シャーマンの生活習慣には、三日として同じ屋根の下に棲まない放浪癖や、使用した道具などを二度使わない習慣がある。
 一般社会においても、類似する習慣を持っている人、同じ道を通らずよく変えるとか、食器など長く使いたくない、独立独歩を好み、組織群衆でいなければ不安を感じるということも少なく、また所帯道具が極端に少なく、定住を好まず引っ越し魔の性質であるとかの人々は、おそらく野性的シャーマン思考感性の資質を内在的に持っている人であろうと思っている。

 〔形成要素である太陽・潜在意識に積まれていく認識〕
 現在自我を通して入ってくる喜怒哀楽の刺激、パルスは、思考領域よりも粘度、凝固度の高い質量を持つ潜在意識の領域に入ると、そこで慣性や類似連鎖によって認識として凝固してゆくわけである。
 この凝固の仕方が非常に不可思議で、それは夢映像とよく似ている、と考えている。夢映像は、好悪に関係なくインパクトの強い刺激どうしが融合する場合もあると考えている。それが夢をさらに狂気に満ちた世界にしている理由でもあるのだろう。いずれにせよ、潜在意識の倉庫は、これらの認識の要素で満ち溢れているところである。
 凝固された認識が太陽であるならば、鏡は大地となる。

 付録〔移動の概念について〕
 霊的観念においては、現実世界で認識しているのような<自己が移動する>という観念とは異なる。自分が移動する、のではなく、
周囲の五感世界が変化展開するのである。たとえばシャーマンが、いくら歩いても疲れを感じないのであれば、この観念の中にいるからである。
 この認識に関しての<観念トリック>については、できれば後論考を設けたいと思っている。
 この特異な空間概念は、シャーマン的感覚であるとどうじに、結局は仏教的でもあることをご理解願いたい。またこのような思想は、集中的に考える必要はなく、さらりと頭に入れておくと、ふとしたおりに現実の在り方を考え直すときがあるものです。

 空即是色、色即是空。

 
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おしらせコーナー

Gennsi

 霊力を感じさせる鬼面に出会いましたので、このブログの御守りも兼ねてしばらくのあいだ飾らせていただきます。

009  

 「なんじの鳴るがごとく、なんじに成る」

 「なんじの鳴るがごとく、なんじに成れ」

 復讐と罰を与える権利と力は、神にあり。

 この呪文は、これからの時代、双方に威力を発揮します。

 sandclock

さて今年も終盤に入りましたので、このコーナーは閉じます。

肝心なところは記憶しておいてください。


 newlibra

 ゆっくりとではありますが、分離は進んできているようです。もう少し時代が進むのを待ってから核心的な題材に入ってゆきたいと考えています。それまでは、スサノオ信仰の在り方を模索してゆきたいと思い、またこの尊の導きと守護と罰の働きが現れることを切に祈願いたしているしだいです。
 これからは、本当に一様な善悪判断でいると神を見失うこともあると思います。神が自分の内側から見ていることと、純心性を失くさないように他批判を避けて内実性を重視してゆく霊的環を広げて行ければ幸いです。

 創造の原理と、人間、自分自身を探究する学問は同じである。

 芸術感性、自己創造の遊楽は、人間存在の本質であり理由である。

[第三の真理]
 聖典や神示を読んでゆくうちに、ここではこのように書いているのに別のところでは違ったことが書いてある、と思ったことはないでしょうか。それほど数多く読まなくてもこのような疑問にであうことがあると思います。
 一般的には、いずれか自分の思想や立場にあった言葉だけを真理として信じている人がほとんどです。これが元となって数多の宗派が生まれたのでしょう。唯一の真理探究者は、相反する言葉を合わせられるところに語られない第三の真理を発見してゆくべきでしょう。単純な視点のリバースが、探究の技術でもあります。意識の集中が、常に他批判に外れる要素はニヒルな虚勢によるものです。
 

 アマテラス紀である現代は、青銅紀、鉄鋼紀、油田・ガス・電気時代、金融経済時代を経て、次に自然の神が荒れ狂う時代に入ろうとしています。このあと天候の変化はもちろん、経済の混乱、政治の混乱と人知におよばない状態となってゆくことだと思います。この過程をとおして人類の性質は二つに分離してゆくことになるでしょう。
 その兆候が、2008年に見えてきたようです。

new2009年に入って、政局の愚劣な混乱と、また反対にほんとうの人道的生き方を示すような出来事が報道されていることに気がついていてください。
政治的には、見た目は国と国との問題にも見えますが、最終的には個人がどちらの道を選ぶかにかかってどちら付かづですまされない時代となります。
急ぐべきはどのように、どのような性質に分離されるかをよく考えておくべです。
わたしの感覚では、展開の速度が速くなってきたと感じています。

 この世は修行の場とか、霊魂の苗床という思想は昭和初期生まれの人にとってはかなり普通の宗教思想であったと思います。わたしの霊魂進化論も、この思想がベースになっていることは確かです。
 よく考えてみますと60年代以降生まれの人にとっては、安易で過剰な平等意識を刷り込まれているわけですので霊魂に淘汰進化などとは耳に馴染まないのも無理からぬことです。
 戦後教育によって精神性を失った無責任時代、ゾンビ、偽善仮面のソドムとゴモラ再来の時代と、このような予想は当時から囁かれてはいたのです。
 ある預言者は「20世紀の人々はかわいそうである。魂を取られる」とも語っている。
 社会も科学も輝かしい進歩を遂げた時代の舞台裏である。

 〔予定〕
 <アマテラス紀、姉弟の時代>
 アマテラス紀Ⅰとして書いてゆくつもりですが、より理解しやすく、また最後まで書けるかどうか自信はありません。

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            winesecret number of MIROKU

            ⑦
           ⑥
                   ⑤   

  shoe〔出雲散策〕
 摩陀羅神社の三十二花弁の菊華紋

 年に一度ほどですが、出雲に通い始めて数年たつわけで、ほぼ肝心なところは行き尽くしたと思っていたのです。そこで三年ほど前から始めたらしいのですが、出雲国神仏霊場めぐりなるパンフレットが目につき、ならば出雲大社参拝のついでに一番近いところの鰐淵寺と書いてガクエンジという二番札所に行ってみたのです。
 山深い寺ですので神秘的な空気は言うまでもなく、本殿までの横手の紅葉の木は幹が太くそうとうの樹齢を感じるものです。
 本殿に参拝して、左横に鎮座する摩陀羅神社にも参拝して、ふと神社右側を覗いてみるとどうやら菊花紋が彫られてあるのが見えたのです。よく見るとどうやら花びらが多いようなのです。ひょっとすると、三十二弁あるかもしれないと思い、目を凝らしてみたのですが、なんとてお月さまが二重に見えるようになったわたしの目では数が読めない。とにかく写真に撮って帰り拡大して見たのです。
 やはり三十二弁でした。しかも中心は三重円。あるかもしれないとは思っていましたが、本当にあったとは感激でもあります。
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<摩陀羅社から三台杉だろう、を通して見る本殿>
 この杉も、稀に見るりっぱな大杉です。
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 どうもこの神社も出雲大社同様に謎ある由緒ある神社のようです。おそらく社名の摩陀羅は仏教の勢い盛んな時期につけられたものかもしれません。いずれゆっくり探索してみたいところです。
 
 開創 天台宗、智春上人により、推古天皇二年、西暦594年とされています。
 <出雲国神仏霊場・鰐淵寺>について、アクセス等はHPがありますのでそちらをみてください。

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神性配置

 論稿〔意識の進化〕では、ダーウイン進化論と同じく人間を頂点として、水棲動物→爬虫類→哺乳類→霊長類・人間と、現実の進化の在り方、また脳の構造とも一致する順序を当て嵌めている。
 ここでもう一つの考え方として、さらに秘教的で不可解な順序を試みた配置を挙げておきます。またこの論稿におきましても型の紹介にとどまり、この配置に到った経緯と説明は省略しております。

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 上左図、平面世界を球形で切り取った古代の世界図。
 上右図、〔スカラベ〕でのエジプトのオイディプス図の中心にある図形。
 下左図、ヘルメスの持つ、天球図。
 下右図、十牛図、六番目図。
 ※ヘルメスの持っている天球の平面図が<エジプトのオイディプスの中心にある図形>で、それを古代世界画と合わせて解釈したのが上右図。この図形が十字架の元型であるとするならば、それにもっとも近いものがロシアンクロスである。<下図参照>

 図で示してある海底から山頂までが、およそ意識生命体の活動できる場である。この間に十二星座、獣帯が配置されているのは、生命体の各性質が表されていると考えている。図での斜め点線は、梯子、意識の段階を意味している。
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 斜め十字は、私のイメージとは逆であるが表か裏の問題だろう。実際のロシアの墓標は地平から上だけのもので、下の十字は、推測である。
 唯物論発祥の国であるロシア聖教の奥深くには、いったいなにが眠っているのか、疑問にも思うのである。


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 ※上図では、上下は関係なく、梯子の足の位置を示している<これまでの図版を参照>
 数値と音階に当てはめている動物の配置は、現実世界での生息地域<海・大気圏内>と相似させたもの。
〔海底・海〕水棲動物。
 爬虫類、主に地中。
〔陸上・平野〕人間。
 哺乳類、高原。
〔山頂・空〕鳥類。
 さらに秘儀象徴<知性段階>としての意味では、エジプト神話などで使われているように、神性シンボルの配置で、つまり神の性質と能力を表していると考えていただきたい。
 たとえば<ラ・8>は、エジプトのトート神で、トキやヒヒで表わされる。鳥類はトキ、日本では鶴であるが、双方とも白、黒色が示されていることに注意しておく必要がある。
 鳥類ではほかに鷲、鷹、カラスなどがあり、とくにカラスは各段階<地獄から天国>までを自由に飛び渡れる鳥と思われ、神話でも伝信の神とされている。<ワタリガラス・ヤタガラス>参照。
また西遊記で言うと、<レ>サゴジョウ。<ファ>三蔵法師。<ソ>ハッカイ。<ラ>孫悟空。ここで考えておくことは、<ラ>の統合された智慧が、<ファ>人間の守護者にもなっていることである。

 〔意識プロセスの参考神話など〕
 禅宗<十牛図>の六番目図<騎牛帰家>では、児童が牛に乗った<最初下右図を参照>姿である。さらに七番目図<忘牛存人>では牛は消えて童子だけとなり、牛は童子の内に居ることになる。つまり内外反転の思想である。十番目は布袋様が現れ、ちなみに布袋様は弥勒菩薩の前身ともされている。
 <神曲・地獄篇>
 意識のプロセスを、地獄篇から始まってエルサレムで終わるとするとき、中間地点は地獄の底であるルシファーの腹の中である。意識は、この地獄の底、あるいはルシファーの腹の中でグレンと180°ひっくり返る、変転するのである。
 ここで十牛図六番目から七番目の内外反転とルシファーでの上下変転の思考性、もの見方、視点の転移に重大な関門があることを熟慮しておく必要がある。あとの段階は比較的順序の理解できるものであるが、この境域は、一度すべてを捨てる白紙に戻す術<哲学的死>が不可欠である。
 <サタンとユピテル>
 <スサノオと大国>
 <オイディプス神話>
などを参照。このように一つの教義や逸話だけを信じるのではなく、多様な比喩を読み比べてひとつの真理、実態を把握するように学ぶのが賢明である。

 なぜ、神話で動物の姿がよくシンボル化<神聖視>されているかについては、進化するにつけて、人間は動物の本能器能を失っていった。この一度失った<野生意識感覚器能能力>を取り戻すことが神霊能力を獲得することなのである。つまり総合された動物感覚能力の象徴動物が<麒麟・龍>などである。

 配置の論考が一応終わったところで、順序にも二種あることを考えておかねばならない。たとえば霊的順序、アオウエイ。現実順序、アイウエオで、これとともに中間と中心の意味も不可解な意義があることを探究してゆければと思っています。

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