意識段階

 意識段階の論考であるが、ここからすでに個人的沈黙のうちに進めてゆく学問であることを理解しておいてください。知性レベルについて公に論ずることは、必ず止めどない愚かな泥沼論争に陥ってしまうことは日を見るよりも明らかである。
 一般的人間は、どのような思想でも、誹謗、中傷、陰険な策謀に使うものであることに気付いておくべきである。たとえば、性が全ての生命創造にとって重要な真実であるが、それを露わにすることは、醜悪であるとされるのによく似ていて、真実真理を公表することは稚拙で愚かな行為でもある。これも、秘密の教義、とされる理由の一つである。
 だから、常に自分自身で他人や自己を正確に観察してゆかなければならないのであるが、ここで相対感情によって公平鮮明さを欠いてくると、かならずどこかの段階で止まることになる。実際ここでの正確な観察力は、内在の指導者による試みと援助なしで培ってゆくことは不可能である。<ダンテとヴェルギリウス>のように。
 このようなことで、あまり書きたくはなかったが、探究者にとっては、意識の段階を深く繊細に観察し、各段階に当てはめてゆく作業は、なにより先行すべき重要な課題である。それは、人間の意識も、森羅万象もよく似ていて、自分自身を知ることは創造を知ることになるからである。

 次の図は、意識段階を測る、尺度の型であると考えてください。

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 <大段階の⑥> 
 左側のマクロコスモスとしてある⑤⑥⑦段階は、創造進化過程で、人類の位置を示している。
 したがって、ここでの①~⑨までの段階は<ミクロコスモス・人間>の意識段階を表している。また⑥は、これまで説明してきたように、あらゆる事物の中心、中間、境界線でもある。
 肉体を持った、現世の人間の意識段階、現実観念を基礎とした思考は、①~⑥までで、それ以上、⑥⑦⑧は霊魂の法則を考慮した、知性のみの進化過程を意味する。およそ紫色で示してある、⑦⑧⑨段階である。知性に関しての意識段階を測るには、この尺度を使うのが最適である。
 概ね③段階から、個人的自我意識、知性の萌芽を意味する。さらに⑤段階までは、現実観念の知識知性範囲である。だから⑥段階に達してはじめて現実物理以上の法則に気がついてくる段階にはいるわけである。
 その一方的現実観念での④段階は、体力気力優先主義者。⑤は、知能能力優先主義者で、その後半は現実主義ではあるが、情動的慈善道徳主義者、となる。一般的には、この段階で進化はストップしてしまう。しかしそれ以上の疑問を持つ資質ある者は、さらに無形の要素である、形而上の霊的法則へと知性を広げてゆくことになる。

 〔三重の体〕

 以上の意識段階を横として、人間の三つの体<精神体の性質><転生する霊体の性質><身体の性質>を縦の基礎として縦横合わせることにより、非常に複雑な個人の性格と運命が織りなされるわけである。縦、三つのヴォディ。横三段階。<型は、キューヴ参照>

 <肉体の性質>
 先天的遺伝要素。体形や臓器の強度によっても、その思考傾向に影響があるものである。
 <精神体の性質>
 後天的要素。教育環境と生活環境、風土の記憶によっても思考傾向に影響をおよぼす。およそ10歳まで育った風景環境はほぼ一生を通じての性格を造り上げる。
 <転生する霊体の性質>
 もっとも潜在的であるこの性質は、本人の知性の発達過程において自覚してゆくものである。
 たとえば、現世では、上層教育とその遺伝で育った身体でも、霊体は③程度の本能欲動である場合や、反対に低い教育環境で育った身体に、⑥程度の高度な知性が内在していることもあるわけである。

 〔意識段階①~⑨までの内訳〕
 ①②③爬虫類。本能欲動、弱肉強食。体力気力が主体。
 ③④⑤哺乳類。現実主義的相対感情思考。
 ⑤⑥⑦霊長類。現実的情動道徳→霊的道徳へ。
 ⑦⑧⑨霊的均衡の叡智へ。
 また現世でいる限りは、高度な知性を獲得しても、その作業は肉体と霊が合わさっている位置、⑥の三次元世界、現実世界においてなされる。
 
 人間の段階では①~⑥と上昇するほどに知性の質量は増してゆくが、思考力が増強するほど気力は減少する。反対に、体力や気力精力などの生命力は知性の低い①ほど強力で、子孫を産む力、繁殖力がある。現世ではどちらかと言えば、この両極端の形態が普通である。
 この知性と気力双方を兼ね添えた文武両道とは、じつは現世では在り難い奇跡的な状態なのであって、守護者の錬金指導によってでなければ成就はあり得ないことなのである。つまり知性質量と、純粋生命質量とは相反する性質の氣で、水と油のように常に分離する性質なのである。

 次に、この尺度の型を考案するに到った経路を挙げておきます。そのひとつは、前記事の<国常立尊と男根崇拝>に挿入してある図版<十六世紀、太陽の光輝、大英博物館>である。
 この図で、梯子の人物が、右足を⑥段目に掛け、左足を⑦段目に掛けて作業していることに注意。この左右についても意味があり、これに関した図版<原型的人間、おそらくアダムカドモン>を挙げておきます。
 両足だけでなく、さらに両手、頭部の位置を考えて、どの領域で作業しているか、を考慮しておく必要がある。原人の縮小された構造が人間であり、自分自身である。
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 あとは、自分自身で現実をよく観察しながら、この尺度を埋めてゆくことである。これが完成に近づいてくると、人の内性が読めて、そこからはじまるプロセス、運命形態が推測できるまでになるだろう。この思考感性を獲得してゆくことにより、占術<運命のバイオリズム>などを活用できるようになるわけである。

※もっと現実的な人間の在り方を書くべきであると思うが、結局重複したことしか書けなかったわけである。ここで一度記事を整理して、さらに言及してゆきたいと考えています。
08-10/17

 <追稿>
 ⑥段階を、境界線としたところで、ついでに書いておきますと、なにも説明無しで書いてきた<グノースティコイ>とは、理解できる資質の有る人々、と、わたしは解釈しております。つまり、境界を越えた向こう側に哲学的知性を置ける人のことです。
 善悪の彼岸、あるいは映画では<薔薇の名前>など、耳にしただけでなにをいわんとしているかが直観できる人々でもあります。

 

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スカラベ

 センチコガネのスカラベが、なぜ聖虫に選ばれたか。それはフンを転がして巣穴に運ぶ様子が、太陽が東から昇り、西に沈むさまに似ているところからきているとされている。
 次の図版は、使途不明であるが、女性のひな形とされている木製の切り抜き小板である。
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 中央と右側のものは、見たとおり女性のトルソーである。さらに左のものも同様に使用したものとして、スカラベの運ぶ太陽は、子宮へ運ばれるものであることが判り、また古代エジプト人の観念として、太陽の沈むところが大地の女神の子宮であることが想像できると思います。
 子宮は地下世界、冥界への入口。日本神話的には、イザナミ神の司る黄泉の世界である。冥界では、腐敗→分解→再融合→新生へと錬金プロセスが行われる。
※赤線で囲んであるスカラベは、本来ならば運ぶ太陽は後ろになるのではないか、とした私の創作図である。
Herupu
<エジプトのオイディプス><スカラベ神・ヘプリ>

 左図、エジプトのオイディプスにおいては、スカラベが、各惑星で示されている進化過程を通過してゆく道程を表している。したがってスカラベが、自我意識の象徴であることが理解できるだろう。
 この図でスカラベは、霊的進化過程を巡り、中心の<完全体><霊の統一体への回帰>とされている位置に到達する。そして、再び最初に戻ることになる。この循環を<宇宙霊の螺旋的進化>とも書かれて、およそ永劫回帰を意味するものだろう。
 ※中心の図版に注目しておいてください。これからの論文に重要な型となるものです。
 右図は、スカラベを頭にしたエジプトの神<ヘプリ>である。動詞<ヘプリ>の意味は、
 自ら存在に到るもの。
 生成するもの。
 変化するもの。
 さまざまな形の主人。などである。

 さて、定説からスカラベが自我意識ではないか、としたところで、ここからわたしの一般定説からは逸脱した自説を述べてゆきます。エジプトの図柄に反してフンである太陽を後ろ脚で運ぶスカラベを象徴的型として、自我意識の構造を試みたものです。
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 〔映像・現実世界・五感の鏡〕
 わたしたちの視覚で見ている現実世界は、固定して見ると、横幅約160°ぐらいだろうか、の楕円形の鏡で、しかも焦点が合っているのはほとんど一点にすぎないものである。それをいつも全体を見ていると感じているのは、移動による記憶連鎖によるもので、さらに映像の鏡は、このスカラベ図のように、進行方向からすれば逆の後ろに位置することに注意しておいてください。

 〔視覚・現在意識の方向〕
 現実の五感感覚では、見ている方向が前であり、前進している方向である。しかし意識構造からなる、エネルギーの流れの方向は、このスカラベのように逆であり、わたしたちが見ている五感世界<鏡に写った映像>は、見た瞬間から過去へ過去へと消滅していっている。<スカラベの進行方向は、時間でもある>
 
つまり、積まれてゆく認識となった意識エネルギーの最終段階がフンで象徴される太陽で、その光である形成要素エネルギーが形成の鏡<五感世界>に反射する、あるいは鏡によってその五感刺激を発した後、そのエネルギーは還元され、再び認識によって形成の過程を通過してゆくわけである。この過程を通過することにより、現在自我が反応した思考判断が認識と五感映像になるまで時間がかかり<繊細には時間と形態>にギャップが生じる。この差によって、現在自我の記憶<自分の意思>とは無関係と思われるような現実が映し出されるわけである。この時間差は、その今生に現わされるか、あるいは来世に現れるかは、その要素によって違いがあるのだろう。
 ここで形而上の感性に敏感な人は、自分の人生において、
形態は異なっているが、同じ運命を繰り返しているのではないだろうか?と疑問が生じるのである。
 同じことを繰り返すのは、現在自我が見ている世界に対して、
同じ思考判断、情緒反応を繰り返すことによって認識が変化せず、慣性の法則でさらに凝固してゆくためである。
 この創造エネルギーの循環構造をよく知りつくしているのが、呪術師、シャーマンであろうと思う。シャーマンの生活習慣には、三日として同じ屋根の下に棲まない放浪癖や、使用した道具などを二度使わない習慣がある。
 一般社会においても、類似する習慣を持っている人、同じ道を通らずよく変えるとか、食器など長く使いたくない、独立独歩を好み、組織群衆でいなければ不安を感じるということも少なく、また所帯道具が極端に少なく、定住を好まず引っ越し魔の性質であるとかの人々は、おそらく野性的シャーマン思考感性の資質を内在的に持っている人であろうと思っている。

 〔形成要素である太陽・潜在意識に積まれていく認識〕
 現在自我を通して入ってくる喜怒哀楽の刺激、パルスは、思考領域よりも粘度、凝固度の高い質量を持つ潜在意識の領域に入ると、そこで慣性や類似連鎖によって認識として凝固してゆくわけである。
 この凝固の仕方が非常に不可思議で、それは夢映像とよく似ている、と考えている。夢映像は、好悪に関係なくインパクトの強い刺激どうしが融合する場合もあると考えている。それが夢をさらに狂気に満ちた世界にしている理由でもあるのだろう。いずれにせよ、潜在意識の倉庫は、これらの認識の要素で満ち溢れているところである。
 凝固された認識が太陽であるならば、鏡は大地となる。

 付録〔移動の概念について〕
 霊的観念においては、現実世界で認識しているのような<自己が移動する>という観念とは異なる。自分が移動する、のではなく、
周囲の五感世界が変化展開するのである。たとえばシャーマンが、いくら歩いても疲れを感じないのであれば、この観念の中にいるからである。
 この認識に関しての<観念トリック>については、できれば後論考を設けたいと思っている。
 この特異な空間概念は、シャーマン的感覚であるとどうじに、結局は仏教的でもあることをご理解願いたい。またこのような思想は、集中的に考える必要はなく、さらりと頭に入れておくと、ふとしたおりに現実の在り方を考え直すときがあるものです。

 空即是色、色即是空。

 
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おしらせコーナー

Gennsi

 霊力を感じさせる鬼面に出会いましたので、このブログの御守りも兼ねてしばらくのあいだ飾らせていただきます。

009  

 「なんじの鳴るがごとく、なんじに成る」

 「なんじの鳴るがごとく、なんじに成れ」

 復讐と罰を与える権利と力は、神にあり。

 この呪文は、これからの時代、双方に威力を発揮します。

 sandclock

さて今年も終盤に入りましたので、このコーナーは閉じます。

肝心なところは記憶しておいてください。


 newlibra

 ゆっくりとではありますが、分離は進んできているようです。もう少し時代が進むのを待ってから核心的な題材に入ってゆきたいと考えています。それまでは、スサノオ信仰の在り方を模索してゆきたいと思い、またこの尊の導きと守護と罰の働きが現れることを切に祈願いたしているしだいです。
 これからは、本当に一様な善悪判断でいると神を見失うこともあると思います。神が自分の内側から見ていることと、純心性を失くさないように他批判を避けて内実性を重視してゆく霊的環を広げて行ければ幸いです。

 創造の原理と、人間、自分自身を探究する学問は同じである。

 芸術感性、自己創造の遊楽は、人間存在の本質であり理由である。

[第三の真理]
 聖典や神示を読んでゆくうちに、ここではこのように書いているのに別のところでは違ったことが書いてある、と思ったことはないでしょうか。それほど数多く読まなくてもこのような疑問にであうことがあると思います。
 一般的には、いずれか自分の思想や立場にあった言葉だけを真理として信じている人がほとんどです。これが元となって数多の宗派が生まれたのでしょう。唯一の真理探究者は、相反する言葉を合わせられるところに語られない第三の真理を発見してゆくべきでしょう。単純な視点のリバースが、探究の技術でもあります。意識の集中が、常に他批判に外れる要素はニヒルな虚勢によるものです。
 

 アマテラス紀である現代は、青銅紀、鉄鋼紀、油田・ガス・電気時代、金融経済時代を経て、次に自然の神が荒れ狂う時代に入ろうとしています。このあと天候の変化はもちろん、経済の混乱、政治の混乱と人知におよばない状態となってゆくことだと思います。この過程をとおして人類の性質は二つに分離してゆくことになるでしょう。
 その兆候が、2008年に見えてきたようです。

new2009年に入って、政局の愚劣な混乱と、また反対にほんとうの人道的生き方を示すような出来事が報道されていることに気がついていてください。
政治的には、見た目は国と国との問題にも見えますが、最終的には個人がどちらの道を選ぶかにかかってどちら付かづですまされない時代となります。
急ぐべきはどのように、どのような性質に分離されるかをよく考えておくべです。
わたしの感覚では、展開の速度が速くなってきたと感じています。

 この世は修行の場とか、霊魂の苗床という思想は昭和初期生まれの人にとってはかなり普通の宗教思想であったと思います。わたしの霊魂進化論も、この思想がベースになっていることは確かです。
 よく考えてみますと60年代以降生まれの人にとっては、安易で過剰な平等意識を刷り込まれているわけですので霊魂に淘汰進化などとは耳に馴染まないのも無理からぬことです。
 戦後教育によって精神性を失った無責任時代、ゾンビ、偽善仮面のソドムとゴモラ再来の時代と、このような予想は当時から囁かれてはいたのです。
 ある預言者は「20世紀の人々はかわいそうである。魂を取られる」とも語っている。
 社会も科学も輝かしい進歩を遂げた時代の舞台裏である。

 〔予定〕
 <アマテラス紀、姉弟の時代>
 アマテラス紀Ⅰとして書いてゆくつもりですが、より理解しやすく、また最後まで書けるかどうか自信はありません。

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            winesecret number of MIROKU

            ⑦
           ⑥
                   ⑤   

  shoe〔出雲散策〕
 摩陀羅神社の三十二花弁の菊華紋

 年に一度ほどですが、出雲に通い始めて数年たつわけで、ほぼ肝心なところは行き尽くしたと思っていたのです。そこで三年ほど前から始めたらしいのですが、出雲国神仏霊場めぐりなるパンフレットが目につき、ならば出雲大社参拝のついでに一番近いところの鰐淵寺と書いてガクエンジという二番札所に行ってみたのです。
 山深い寺ですので神秘的な空気は言うまでもなく、本殿までの横手の紅葉の木は幹が太くそうとうの樹齢を感じるものです。
 本殿に参拝して、左横に鎮座する摩陀羅神社にも参拝して、ふと神社右側を覗いてみるとどうやら菊花紋が彫られてあるのが見えたのです。よく見るとどうやら花びらが多いようなのです。ひょっとすると、三十二弁あるかもしれないと思い、目を凝らしてみたのですが、なんとてお月さまが二重に見えるようになったわたしの目では数が読めない。とにかく写真に撮って帰り拡大して見たのです。
 やはり三十二弁でした。しかも中心は三重円。あるかもしれないとは思っていましたが、本当にあったとは感激でもあります。
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<摩陀羅社から三台杉だろう、を通して見る本殿>
 この杉も、稀に見るりっぱな大杉です。
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 どうもこの神社も出雲大社同様に謎ある由緒ある神社のようです。おそらく社名の摩陀羅は仏教の勢い盛んな時期につけられたものかもしれません。いずれゆっくり探索してみたいところです。
 
 開創 天台宗、智春上人により、推古天皇二年、西暦594年とされています。
 <出雲国神仏霊場・鰐淵寺>について、アクセス等はHPがありますのでそちらをみてください。

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神性配置

 論稿〔意識の進化〕では、ダーウイン進化論と同じく人間を頂点として、水棲動物→爬虫類→哺乳類→霊長類・人間と、現実の進化の在り方、また脳の構造とも一致する順序を当て嵌めている。
 ここでもう一つの考え方として、さらに秘教的で不可解な順序を試みた配置を挙げておきます。またこの論稿におきましても型の紹介にとどまり、この配置に到った経緯と説明は省略しております。

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 上左図、平面世界を球形で切り取った古代の世界図。
 上右図、〔スカラベ〕でのエジプトのオイディプス図の中心にある図形。
 下左図、ヘルメスの持つ、天球図。
 下右図、十牛図、六番目図。
 ※ヘルメスの持っている天球の平面図が<エジプトのオイディプスの中心にある図形>で、それを古代世界画と合わせて解釈したのが上右図。この図形が十字架の元型であるとするならば、それにもっとも近いものがロシアンクロスである。<下図参照>

 図で示してある海底から山頂までが、およそ意識生命体の活動できる場である。この間に十二星座、獣帯が配置されているのは、生命体の各性質が表されていると考えている。図での斜め点線は、梯子、意識の段階を意味している。
Nov27353
 斜め十字は、私のイメージとは逆であるが表か裏の問題だろう。実際のロシアの墓標は地平から上だけのもので、下の十字は、推測である。
 唯物論発祥の国であるロシア聖教の奥深くには、いったいなにが眠っているのか、疑問にも思うのである。


Nov22351
 ※上図では、上下は関係なく、梯子の足の位置を示している<これまでの図版を参照>
 数値と音階に当てはめている動物の配置は、現実世界での生息地域<海・大気圏内>と相似させたもの。
〔海底・海〕水棲動物。
 爬虫類、主に地中。
〔陸上・平野〕人間。
 哺乳類、高原。
〔山頂・空〕鳥類。
 さらに秘儀象徴<知性段階>としての意味では、エジプト神話などで使われているように、神性シンボルの配置で、つまり神の性質と能力を表していると考えていただきたい。
 たとえば<ラ・8>は、エジプトのトート神で、トキやヒヒで表わされる。鳥類はトキ、日本では鶴であるが、双方とも白、黒色が示されていることに注意しておく必要がある。
 鳥類ではほかに鷲、鷹、カラスなどがあり、とくにカラスは各段階<地獄から天国>までを自由に飛び渡れる鳥と思われ、神話でも伝信の神とされている。<ワタリガラス・ヤタガラス>参照。
また西遊記で言うと、<レ>サゴジョウ。<ファ>三蔵法師。<ソ>ハッカイ。<ラ>孫悟空。ここで考えておくことは、<ラ>の統合された智慧が、<ファ>人間の守護者にもなっていることである。

 〔意識プロセスの参考神話など〕
 禅宗<十牛図>の六番目図<騎牛帰家>では、児童が牛に乗った<最初下右図を参照>姿である。さらに七番目図<忘牛存人>では牛は消えて童子だけとなり、牛は童子の内に居ることになる。つまり内外反転の思想である。十番目は布袋様が現れ、ちなみに布袋様は弥勒菩薩の前身ともされている。
 <神曲・地獄篇>
 意識のプロセスを、地獄篇から始まってエルサレムで終わるとするとき、中間地点は地獄の底であるルシファーの腹の中である。意識は、この地獄の底、あるいはルシファーの腹の中でグレンと180°ひっくり返る、変転するのである。
 ここで十牛図六番目から七番目の内外反転とルシファーでの上下変転の思考性、もの見方、視点の転移に重大な関門があることを熟慮しておく必要がある。あとの段階は比較的順序の理解できるものであるが、この境域は、一度すべてを捨てる白紙に戻す術<哲学的死>が不可欠である。
 <サタンとユピテル>
 <スサノオと大国>
 <オイディプス神話>
などを参照。このように一つの教義や逸話だけを信じるのではなく、多様な比喩を読み比べてひとつの真理、実態を把握するように学ぶのが賢明である。

 なぜ、神話で動物の姿がよくシンボル化<神聖視>されているかについては、進化するにつけて、人間は動物の本能器能を失っていった。この一度失った<野生意識感覚器能能力>を取り戻すことが神霊能力を獲得することなのである。つまり総合された動物感覚能力の象徴動物が<麒麟・龍>などである。

 配置の論考が一応終わったところで、順序にも二種あることを考えておかねばならない。たとえば霊的順序、アオウエイ。現実順序、アイウエオで、これとともに中間と中心の意味も不可解な意義があることを探究してゆければと思っています。

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スサノオ紀

 まず、スサノオ紀とはどのような時代を意味するものか、大まかではあるが、その定義を挙げておかねばならない。
 スサノオ紀は、妹背の理念である霊的均衡の叡智が主体<夫>となり、女性原理の五感現実感覚、知能知識(物理科学)が妻として従う政治理念<マツリゴト>で治められた時代のことである。

 [古代カースト国家制度]
 スサノオ紀とアマテラス紀とが交互に循環していることは述べてきたが、その周期が3000年か6000年か、あるいは12000年の大周期かはよくわからない。しかし現代文明以前のスサノオ紀が、ほぼ3000年前から急激に姿を消していったのは間違いのないところだろう。また衰退に平行して、現代文明の祖であるアマテラス時代が勢い盛んになってきたわけで、このためであろうかアマテラス時代の歴史は書き綴られ、衰退を辿るスサノオ文明はとるにたらない原始野蛮文明として、ほとんどが末梢されていったと思われる。
 この時代の世界国家構成について推察するに、およそ知性段階において、かなり正確なカースト制度が敷かれていた、と考えている。
 次の図では、世界国家の大要を表してみた。
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 まず、世界統治中枢都市が中東<エルサレム>あたりに築かれ、ここに世界主宰天皇<一応ここでは天皇と表現しておきます>が居た。 この時代には、現在の砂漠ではなく、樹木生い茂る豊かな土地であった、とされる説もある。

 この天皇の統治都市を中心に、国際主要都市<エジプト、インカ、アステカ、など遺跡の残る巨石文明都市がこれにあたるだろう>があり、その下に各原始部族が点在していた、と考えている。
 この各部族が、人類の多様な性質を保持していて、南洋の平和民族も居れば戦いに明け暮れる人食い人種も存在していた。しかしこれらのいずれかの部族の力が巨大化して、他の部族を侵食したり、滅ぼしたりするほどにはならなかっただろう。それが知識のカースト制度によるもので、選ばれた者のみが段階に応じて教育を受けられるシステム、となっており、野蛮精神のままで高度な知識に触れることが少なかったためだった。
 この最終段階での教育施設として、現代にまで残っている遺跡が、ピラミッドではないかと考えている。各段階を通過してきた資質ある者が大回廊を通って何かの儀式が行われていたのだろう。たんに王の墓としては疑問の多い建築物である。
 私の推測では神社の元型か、あるいは霊魂の向上施設の、西洋的石造建築物がピラミッドで、樹木の多い東洋地域では古代出雲大社のような施設であったのではないだろうか。
 そうした儀式の部分的伝承が、天皇即位式などの儀式として残っているのかも知れない。

 [少数進化システム]
 また国家カースト制度による教育システムとは別に、どの部族にも<グル・師>的シャーマンが存在して、7人~12人?ほどの秘密のグループをくみ、資質ある者を導いていた、とも考えている。このシステムはスサノオ紀だけではなく、どちらの時代をも通して現代でも世界各地の主には半原住民社会地域で、しかも一般感覚世界からは離れたところで秘密裡のうちに行われている。普通まったく公に出ることの無いシステムであるが、時代の必要に応じてほんの僅か姿を現わすときがあって、その現代での代表が<カスタネダ>であろう。また、中国の仙人伝説がこれにあたり、その痕跡を色濃く残した中国映画に<山中伝奇>DVDがある。さらにブッダやキリストもこのグループが公になったものと考えている。もちろんその表面的教義は現代人にまで記憶伝承され、理解されやすい形態、物語にカモフラージュされているわけである。
 ※キリスト物語などは、人間の心理、情動感覚に強烈なインパクトを刻印するストーリー展開で構成されていることを考えてみるのも良いかもしれません。

 スサノオ紀の教育は、唯一の真理(創造の原理を、10のポイントに集約して、3・5・7の理論構造)グノーシスのみで教義され、現在のように多種多様の教義が散乱、混乱してきたのはアマテラス紀に入ってからの<言葉が分けられた>時代からであろうと推測している。

 カースト制については、現在ではインド、ヒンズー教に見られるが、主宰神のいない現在では差別の元凶に他ならないことになっている。日本でも同じように、神道、仏教は学問と等しいもので、貴族階級でしか学ぶことができなかったわけで、経文が一般人にまで普及し始めたのは浄土宗の発祥からであろうと思っている。

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小我について

 アマテラス紀では、現代文明においての霊魂の行方を追及してゆくつもりでありますが、その前に意識の上昇にさいして、どのような心理が理解を歪め、障害になっているかを論じておいたほうが良いかと思います。
 これら精神的題材は、およそ言葉や文字にできないもので禅宗的な体得によって悟ってゆくもので他に道はないと説く人、また理論化などとは高慢不遜なことであると言われる人もあろうかと思いますが、いわゆる「我を捨てよ」といわれるところの<小我>についてもう少し意識精妙質量の観点から理論化を試みてみたいのです。
 このブログにおいても<神、妖怪、幽界>というぐあいに非現実的抽象言語を使ったり、また反対に意識質量とか精神を化学反応的に見ることに違和感を覚え、頭からその思想自体稚拙なものとして決め付け軽んじたり中傷誹謗の感情が起ったとすれば、そこに潜在的な<ニヒルな虚勢心理・我>が働いていることに気付いておくべきです。およそニヒルな虚勢は表面の形態に強く感情反応して純粋な哲学知性を持たないものです。
 この思考性質は、人が現世に誕生して、物心ついてきた時点での段階<キューヴで説明した六段目、人間の意識段階である感情思考、詳しくは五段目から六段目の間、ここに小段階、生命の木を立てて考える>の意識段階から始まると考えている。

 まず、この段階の意識感覚は、さいしょ誰でも五感現実物理感覚からの意識反応で行動し判断し生活してゆくわけである。この一方的現実感覚によってのみ生活を続けてゆくことは自ずと次のプロセスを歩んでゆくことになる。
 <観念構造とプロセス>
 現実一方的基礎観念
 ①相対比較観念
 ②比較優越感情
 ③比較感情が幸福観念<快感器能>にまで凝固する。
 ④比較快感欲求による相克運命形態を繰り返す。
<スカラベ>理論参照、鏡による運命反復作用、慣性、重積。
 ⑤嫉妬憎悪感情の増強。この質量が下降の主要素<図では主軸>である。
 およそ、④ぐらいから運命<意識>の急降下がはじまる。
 次、理論イメージ図。
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 ※下降意識では、他批判精神は増強し、知性質量は減少してゆく。
 左の図は、生命の木的に解釈した進化の繋ぎ目<シナプス>を表している。その連結線は生命の木の三つのポイントに対応する意識器能に当たるであろうとする仮説に基づいている。参考までに挙げておいたが私たちはこれほど複雑難解な理論に挑む必要はないでしょう。

 このように人間意識は五感感覚からはじまり、そのままでは気付き難いゆっくりとした転生を通じた時間>によって自然に下降しているのです。
 五感現実意識は堅く重い性質。
 およそ①②段階までは一般良識観に沿って生活できるが、③段階ぐらいから比較優越快感が増強して他干渉が著しく多くなり、過剰な社会批判から精神的、現実的暴力テロ行為<④段階>に移ってゆく。この状態はテロ宗教のピラミッド組織構造に類似する。
 ※宗教と名乗る団体が全て精神的であると考えてはいない。外、他に過剰干渉するのは内実では狭い感性の現実主義である。
 一般的には③段階で、いわゆる皮肉やの形態をとり、他批判の誹謗中傷嘲笑の多さが結局自分自身の運命を辛辣に変化させ④段階へと下降速度を増してゆくことになる。
 ⑤段階では運勢や能力の低下が急速に現れ、憎悪感情が全体を占め、霊性である知性の質量は各段に減少し、嫉妬憎悪の質量が個人の思考を支配するまでに増強する。
 この時点での意識状態は、霊的内生観察は著しく低下し、他人の弱点を見抜く狡猾さの能力は研ぎ澄まされ、いかに自己の虚栄を満たし復讐できるかについての他批判にのみ意識質量が注ぎ込まれることになる。
※この下降形態を観察することがこれからの課題で、現代社会での例証はアマテラス紀の20世紀後半あたりで挙げて行ければと考えている。また現実一方的観念と、霊的観念との相違も差し挟んでゆくつもりである。

現実主義者は、多数決集団を好み、それから外れた者を批判し、さらに低下したものは狡猾に個人の弱点をつき法律に触れがたく表面良識にそっていれば、個人を陥れることに関しての精神的呵責を感じることがなくなっていく。

 相対比較感情に支配された思考は、人間の快感、幸福観念にまで凝固していて、しかもそれは自覚されてはいない。しかし、この観念、心理構造こそが思考を歪め、判断を誤らせ、相克の運命を醸し出し、気づかぬうちに霊魂を下降させてゆく元凶なのである。この意識プロセスは、ある意味自然の成り行きでもある。つまり人間の段階にまで達した意識も、与えられた当然とする認識のままでは再び元に帰する構造となっているのである
意識感情エネルギーは凝固してゆく性質。どのように結晶化させるかが問題。
下降する運命の過酷さのどこかで形而上の理念に気付いてゆかねばならない。つまりここに下行く者との選択の道があり、その自主的気づきのことを仏教的に発願というのでしょう。
 じつに悟道を行く探究者は、まず自分自身でこの比較優越感情心理に気付き見据えて管理してゆくことが根本的作業であり、自他を観察する時も、この心理作用に気が付いているかどうかでほとんど見分けがつくものである。それはその人の判断要素がどのあたりにあるかが読めれば充分である。また反対に、自分はこのような感情はもはや捨て去っている、と思っている人はさらに迷妄に陥ってしまうものです。というのが現世では、この心理を消すことは無理であって、この世で生きる限りは付き合ってゆかねばならない、この世に降ろした錨のようなもので、要は管理するべく愚かさなのである
 この心理構造に気がついていない現代人にとっては、この観念を捨てることは実際死ぬことよりも辛いことになっている。比較優越観念が、欲動のままに表現されれば傲慢と呼ばれ、現世の良識に沿って表現されればプライドと呼ばれているわけである。

 神智学の創始者であるマダム・ブラバッキーの伝記に次のような逸話が載っていたと記憶している。B夫人は傍らから見ればすごく傲慢な人物であったようで、ある日かなりぶしつけな質問がなされ「あなたは、どうしてそう傲慢なのですか」と問いかけられたようである。その質問に対してB夫人は「それは、あなた方の利得、私の損失」だと答えたそうである。それはこの傲慢な習癖がなければ私はこの世に居なくて済む。これがあるからこそこの世で生きて、あなた方はこのような知識を聞くことができるのです。ということで、人間はどのようなものであれ、偏った習性<言い換えれば罪>を背負ってこの世に生まれ落ちることらしい。

 まとめ

 ニヒルな虚勢、我が、意識の下降の主軸となっている。
 霊線を太く確保してゆく人と、霊線を断ち切ってしまう人とに分離する。
 霊線は、霊的感性である。

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アマテラス紀①

 [王引退の仕組み]

 アマテラス紀を書いてゆく上において、多々重複ありますがもう少し詳しく纏め参考を挙げておきたいと思います。
 神話経典上の一般概念では、<日>とはこの世を照らす太陽と考えるのが普通ですが、経典などよく読んでゆくうちに日とか太陽で示すものに二つの意味合いがあると思うのです。
 ひとつは、先に述べたとおり<世を照らす太陽、アマテラス>
 もうひとつは<創造の光である、霊的太陽、スサノオ>である。
 このように日が示すのは、霊的太陽で、地上にあっては唯一の世界主宰神、天皇で、引退後の黄泉の国においては主に王子と呼ばれ、根の国の王子の意味で、ある地方では根子とも呼ばれたスサノオを示す。日本の日はこの世界天皇を意味する日で、その引退出自の国であるとする意味での日の本であろうと考えている。

 この王の統治と引退のサイクルは地球の息でもあり、この息によって人類、人間社会の営みが行われ多様な文化、物語が生まれる。息は性交でもあり万物万象を産出する創造行為である。このように地球自体も、その上で生活する人類全体も含めて一個の両性具有の生命体<マクロコスモス>なのである。

Feb08359
 地球も一個の生命体と見るとき、英国は頭部<脳>でアマテラス的で、中東は<臍>を中心に胴体、心臓をも含めて考えている。日本は男性器にあたり、日の本の国であり、黄金、日の出る、また沈む国でもある。西欧諸国から見れば黄泉、根の国であると云われる?所以である。月黄泉命と関係があると思っているが、主な説ではインドが月の国とされている。またイザナミ神や、丑寅の金神などとの関係も追及してみたい。

 [英国・イングランド]
 日本と対峙するイギリスは頭部および脳に当てはめている。アマテラス志向、知能的で現代文明への開拓精神は、この地の<白人系アングロサクソン、コーカソイド>から発祥してきた、と考えている。つまりケルトやバイキングであるが、この民族や拡大する影響力の歴史的分布については未だ手つかずでなんの確証も持ってはいない。
 しかし現代までの社会秩序や物理科学を推し進め、侵略開拓して世界中に拡大してきたのはまぎれもなく白人コーカソイドで、イギリスおよび西欧諸国の貴族階級であったわけである。イギリスは数少ない女王国家でもある。この地域も、元来は霊的で精霊信仰の篤いところであり、貴族の紋章を精霊に貰ったという伝説もあるわけである。おそらくは、この地の民族に現代文明の祖となるインスピレーションが降臨したのだろう。
※人間社会は、未来のイメージを受け取ることにより、その追及と研究が盛んになる。最初のインスピレーションが降臨しなければ何も進歩することはないだろう。

※近代ハイメカニック科学のインスピレーションが降臨したのはドイツであろう。このイメージがを基に、戦争によって急激に進歩してきたわけである。

※イングランドにおいても、ケルト民族以前にダーナ神族という民族がいたようである。この民族も、日本でのウラ民族やインカなどとよく似ていて、季節、農耕、薬草、呪術の知識とその生活、またその民族がどこに行ったか、など歴史から消されたようなところは酷似している。

 [中東・エルサレム]
 中心に位置する中東は、臍にあたり顔に当てはめると鼻になる。
 背骨、および大動脈にあたるシルクロードを行き来していたイスラム、アラブ、ペルシャの行商人はユダヤ系が多かったであろう。おそらくはこのユダヤ人のグローバルな知識感性と西欧貴族階級の開拓精神が、現代までの歴史を織り込んできたと考えている。またこの二つの要素が後代に融合して、表に出ない隠れた歴史の原動力となったと見ている。

 [日本]
 日本は前述したとおり、日の沈む黄泉の国でもあり、再び王が世界にお出ましになり君臨するときは日の出の国、日の本の国である。英国の知能現実的に対し、日本は霊的、精神感性的である。

 [幽界、妖怪の定義]
人間の強烈な想念などは、自然界の精妙質量領域<幽界>に凝固します。善性邪性を問わずこの質量は増大するほどそれ自体の意志を持ち、再び現世の人間個人や社会に影響を及ぼし、強大なものは個人はおろか社会集団までも操り支配してしまうものなのです。私の場合この質量のとくに<邪性のものを、妖怪>と呼んでいます。
 いずれにせよこれだけ強力な精妙体は、私たちから見れば神に等しいもので、アマテラス紀に生まれた霊魂を下降させる妖怪の大元が、神話でのヤマタノオロチと言われている妖怪である。こうした妖怪の想念は、人間社会の流行としても伝染してゆくもので、この集団的潜在意識の状態、症状のことを、私は社会潜在心理と呼んでいます。
※神界は、簡単に述べて<大神・大法則><尊・意識生命体、成就した人間を含む><神々・精霊、自然霊>の三つの層に分けて説明がつきますがここでは省略します。
 この幽界の構造を不可解で、ある意味不条理であると思うのも無理からぬことですが人間ミクロコスモスと地球マクロコスモスとは同じ心理、精妙質量の構造で成り立っている<大なるものと小なるものは、よく似ている>わけです。つまり人間の現在意識と潜在意識との関係は、地球の地上と幽界との関係や、生々化育の循環の構造ともよく似ているのです。スカラベで述べたように潜在意識に凝固した認識は、再び現在意識に影響を及ぼします。

 [三つの根本心理]
 ここでは世界中に多々ある神話および経典の真理が、およそ三つおよび四つに分けられる人間の根本心理に還元できるものであることを少し書いておきます。
Feb08360
 図、向って左側[霊的感性]<意識の柔軟、揮発上昇性質>
 図、向って右側[現実物理感覚]<硬化凝固重積下降性質>
 中央[双方から影響を受ける自我]<現在意識>
 現在意識を器として、または分離して構築される[見つめる自己、客観理知]<スサノオやキリストの位置>
 ※キューヴでの<⑨段階・知性>の意識に相当し、本当の意志の座でもある。
 この三つおよび四つの心理要素を根本原理として、神話的に説明したものが、世界に分布する多様な聖典で、その地域や人物の個性によって表現形態が異なったものである、とまずは象徴論的に解釈したほうがより理解しやすいものと思います。
 若干の例を次に挙げておきます。
 R・シュタイナーでは、ルシファーとアーリマン。中央のキリスト。
 大まかですが易教、および神道などは昇り龍と降り龍。スサノオ。
 カバラ、錬金術などは、ヘルメスとヘルメスの杖。
 私の場合、今回のように<アマテラス紀とスサノオ紀>に分けているが、スサノオの統治している時代そのものはツキヨミの尊の性質で、霊的精神質量のウエイトが高いと考え、ツキヨミ、スサノオ、アマテラスの三つを象徴化して当てはめている。
 あとギリシャ神話、ヒンズー教、密教なども当てはまる神名があると確信しているが、今のところ比較研究はしていない。
 この見つめる自己、客観理知とは誰でも一度は考えたことがある単純な思考である。このまったく純粋な思考にこそ存在宇宙の真理があると考えられる人と、そうではない人とに分かれると思います。またここでのアマテラスについての思想は、元来の概念からすれば天と地がひっくり返るような逆説でもあることを考慮しておいてください。

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彼岸の智

真理とシャンバラは、自分の内に探究するべきである。

創造のトリックも、手品のトリックもよく似ている。
「こんなところで」

空<カラ>の者に、実を語ることは愚行である。

律法を、外界人が使うと、
砂漠が広がる。

外界人は、時間と形態が異なれば、
左右相応、上下相応のプロセスが理解できない。

世界は、水でできている。
水に粘度在り。
空気、水。
有機体、鉱物。
結晶体。
ミクロコスモスと照応せよ。

創造は、認識の
トリック。

もっとも世に出てはならない奥秘の書は、主の両腕を露わにした書である。
時が満るまでは、表わされることはなく、もし語る者がいれば罰をうけるだろう。
時が満ちて、過去と未来、天と地、心と現が一つになるとき、
この書は、語られる。
※著者もさにわ中のインスピレーション。

主は、この世にビーナスを産み落とすために、自らの身を真砂に砕きに砕き、無限の時をかけて愚かさを、創造した。

時来たれば

   神道、科学
精神道徳、意識精妙質量理論
   新郎、新婦
として、聖なる結婚式が行われるだろう。

人間の本質は、いじめや、強いては殺し合いに誇りを持っている。
これを理解できない、知らない者は、新しい時代に転生することは無い。
人間の本質を知っている者のみが、よく制御できる者である。

わからない者は、善をもって人を殺す者たちである。

知性は、現実から形而上の霊魂の法則を知ることを経て、はじめて両方の在り方と法則を理解した思考がもてる。
ここにおいて、物事に対して<バランス、マツリ>の新しい判断思考を獲得できる。
それは二者択一では無く、本質を見抜く第三の思考性である。
来る新時代へは、この思考性なくしては入れないだろう。

[理解者へ]

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理解者は各自探究していってください。純粋に構成してゆけばいいです。

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アマテラス紀②

[殉教の歴史]

貴族階級や地方の豪族など権力者の奢りと堕落による民衆への搾取隷属、これらアマテラス紀におきた殉教の歴史を通じて述べてゆくつもりですが、この論考の場合、迫害の歴史を通じてどのような霊魂が培われてきたか、が主題となるもので、正確な史実や宗教思想のどれが正統であるかなどを論じているわけではない。

たとえば殉教の艱難を強いられたのはキリスト教に限られたことではなく、また押し付けと侵略に使われたのも一つの宗派だけではない。

迫害の在り方も搾取と宗教殉教と分けづらいが二種類を挙げると、一つは人民搾取の歴史で、これは後に革命を呼び、現実唯物観念主体の共産主義に発展していった。
もう一方は、宗教的な弾圧による殉教である。

A<搾取迫害艱難者>
盲動貴族の開拓精神。侵略隷属化への革命の歴史。

B<信仰殉教者>
侵略開拓の正当化にキリスト教が使われた。主にローマカトリックであろう。
正統キリスト教の原始信仰への弾圧。霊的信仰や能力は、迷信、魔術、はては悪魔主義、異端として迫害される。
この理由のひとつとして霊能力への劣等感が潜在的にあったことも確かだろう。結局は原始信仰の神は、神に反抗する邪悪な悪魔とされるに到った。

信仰殉教者については、ドイツのホロコーストもこれにあたるだろう。

神の概念が<公平な審判を下す恐ろしき神>から、人間的な慈悲深きイメージに変化したのは仏教においてもそうであるが、ローマ政教の影響も多大であったろうと思う。
いずれにせよ、現代において正当化される宗教は、人間情動道徳に基づいたものでなければならない。
これと反対に呪術、霊能、に関連付けられたグノーシス、カバラ、およそ神道なども原始的迷信の領域、異端として排斥されるにいたる。

ここで重視することは、A B の迫害の歴史において、どのような意識が凝固されたか、が問題なのであって繊細な史実を重要視しているわけではない。

A 現実唯物主観
[支配者への復讐心と憎悪、狡猾な手段に集中する学習]

B 霊魂信仰観
[現世とあの世が存在し、現世は霊魂の苗床、試練の場に過ぎない。およそ現世に重きを置かない心情]

人間の歴史はこの二性質の霊魂凝固過程でもあり、このどちらを凝固させてきたかで、個人の意識の集中、判断選択の方向がきまるわけである。つまり、その後世においての運命の基礎要素でもある。

Bを結晶化させた霊魂は、20世紀後半の急激な便利科学の発展と物量飽和状態、甘やかしの現実主義優位で、霊魂にとっては暗い夜、最終的選択の時代であったが、それでも潜在的に違和感を覚え、自分の霊魂を守ることができた。

Aを凝固させてきた時代の胎動は、霊的世界を信じる国家、神道、霊能者たちも、革命を成功させた煽動の方法で浸蝕し、21世紀の初旬には崩壊させてしまうまでに増強してきたわけである。20世紀前半にヤマタノオロチが上陸して、20世紀後半には選択がほとんど決まり、21世紀初旬にはその現実化となる。

①霊魂進化論
②凝固されてきた霊魂の性質
③科学文明社会の進歩のうちに、試練と選択がどのように繰り返されてきたか。

二つの性質の意識質量を主軸として、①②③をベースに考えて、この三千年の霊魂淘汰プロセスから、歴史史実を観察してゆくことである。

  [ヤマタノオロチ] シンボルシャッフル型論考

父、祖神の試練によって、千尋の谷底に落とされた独り息子にあたるスサノオは、父の素質を受け継ぎながらも生まれてすぐに無智のまま大海原に産み落とされた。

それゆえにどうしても無智<0>から始まり、若く稚拙で粗暴無謀な悪とされるプロセス<弱肉強食~科学知識の獲得、人類の歴史>を通り、それが原因となり悪神荒神とされたわけである。
若きスサノオが、馬の皮をはぎ、神殿に投げ込んだのは、四大を科学分析して物理科学を打ち立てたことによる。
しかしその素質によって、どの民族よりも学習発展が早く、先んじてあらゆる知識を身に着け<人類の社会制度、物理便利科学、哲学>の発展歴史を経て、最終的に父の国の門前に立ち、祖神の霊性の中にこそ探し求めてきた純粋と美と調和がある、ことに気がつくに至ったわけである。

その父の国では、ヤマタノオロチによって外から内から攻められ、もはや最後の娘<クシナダヒメ・世界の主導権>を飲み込むだけ、尻の毛まで抜かれてまだ気がつかぬ、状態になっていた。
しかもいまだに神の示した裏の裏が読めずに、肝心のスサノオを門前払いにして、ほとんど遅すぎる状態となっている。

上の人がこのことわけを察して、しっかりと手を組むとどんどん埒があいてわざわいを食い止めることができるのであるが、まったく前面表面しか見えていないわけである。

グノースティコイと日本人はしっかりと手をつなぎ、未来を切り開いてゆかねばならない。
グノースティコイは日本の神を信仰し、日本人は彼らから叡智を学ぶべきである。

<スサノオは悪神である>とする、現在までに植えつけられた概念には、もはや必要は無いと終止符をうつべきである。
これが解れば、神の示した文の矛盾点が一つになり、第三の真理が読めるようになる。
とくに上の人は一日もはやく悟るべきで、これによってこそすべてに埒があいてくる。

悪神、宇宙人、メーソンなどがどうのこうのと見当違いで愚鈍なことを言っている間に足元と背後が占領されていることにまったく気づいていないでは、先で後悔しても無意味である。悪神などが日本を潰そうとおもえば戦後すでになっている。

※ここでのグノースティコイの意味は、たんに<理解できる資質のある者>で、史実上にある特定の民族などを示すものではない。

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新思考

人間の意識は、形而下現実法則から入り、難関である境域を超えて形而上霊的法則へと学び、そしてはじめて両方の法則から一つの事象を観察して判断できるようになる。

境域とは哲学的死でもあり、ダンテの神曲をたとえれば、地獄から地獄の底、そしてエルサレムへの道程である。

その霊的法則のことを、いままで述べてきたつもりである。

この思考性が、これまでとは違った第三の思考性<均衡、中庸、マツリ>となる。

行き詰まりの体を見せている現代哲学や理論物理学を越えられるのは、この思考性しかないだろう。意識精妙質量理論とマツリの目、これこそが来るべき新時代の思考性である。

Oct22403
    意識              五感
    霊魂              魄体
    水・瑞             土・厳
    原因理念          結果現実

人は、一般的には左目だけの思考性しか持ってはいない。
三つの思考の目をもってこそ、そこからはじめて叡智へと登って行ける。

霊的理想美は、そのままでは現実に発芽しない。
理想の美を現世に顕すには、現実の法則<順序と努力>を経なければならない。

現代のように、現実一方的な考えだけでゆけば、知能気力権力優先の横暴による弱肉強食の暗黒社会国家しか構築できない。

ここに両方の体験知識が必要である。

理解者は、この新しい思考性を自分のものとして活用してゆかれることを望んでおります。
あらゆる分野に活用することによって理解者も広がり、密かな新思想のムーヴメントが起こってくることを期待しています。

これからは、霊魂を主体とした人間学へと進んでゆきたいと考えております。

Oct22402
Oct25405

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